血なまぐさい戦争の真っ只中でさえ、クリスマスの奇跡は起こりうるのです。
1944年6月、連合軍はノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)を発動し、ヨーロッパ反攻の足がかりを築きました。しかし同年9月、イギリス空挺部隊によるオランダ・アーネム橋の奪取作戦が失敗に終わり、西部戦線での攻勢は大きな挫折を経験します。そこでヒトラーは、赤軍の猛攻に押されていた東部戦線に専念するため、まず西部戦線を安定させるべく大規模な攻勢に打って出ることを決断しました。
バルジの戦い──霧深い森の中で
1944年12月、ドイツ軍はベルギーで「バルジの戦い」として知られる大攻勢を開始します。ドイツ軍の装甲部隊は連合軍の陣形を蹴散らし、数千人の捕虜を捕らえ、多くの部隊を雪の森の中に孤立させました。
アメリカ兵3人──そのうち1人は負傷していました──は、見知らぬ森の真ん中で道に迷ってしまいます。膝まで積もる雪、視界を遮る濃い霧。彼らは何時間も自分の部隊を探し続けましたが、たどり着いたのは、煙突から暖かな煙を上げる一軒家だけでした。その日こそクリスマス・イブだったのです。
母親の勇気ある決断
家の中では、12歳の少年フリッツ・フィンケンと母親が夕食の支度をしていました。助けを求める米兵たちに、母親は家に入れて食事と暖炉の火を提供します。連合軍の兵士をかくまえば銃殺刑に処されると知りながら、のことでした。
ところが、母親が負傷した米兵の手当てをしている最中、なんと4人のドイツ兵が家に押し入ってきます。全員が武器を構え、怒号が飛び交いました。一瞬にして、至近距離での悲劇が起こってもおかしくない緊迫の状況となります。しかしその時、母親は両者の間に割って入り、武器を下ろすよう懇願したのです。
沈黙と躊躇が流れる数瞬ののち、全員が彼女の言葉に従いました。実はドイツ兵たちもまた、凍てつく夜を凌ぐ避難場所を求めていただけだったのです。かくして敵味方あわせて7人の兵士たちは、ひとつの屋根の下で夕食と家庭の温もりを分け合いました。
翌朝、負傷者がかなり回復すると、ドイツ兵たちは米兵たちを連合軍の前線まで送り届け、互いに別れを告げたといいます。

半世紀の時を超えた再会
このフリッツ・フィンケンの物語はアメリカの雑誌に掲載され、テレビのドキュメンタリー番組でも取り上げられました。それをきっかけに、ある家族からテレビ局に連絡が入ります。その父親こそ、アルデンヌの戦いを経験した元米兵で、長年この出来事を語り続けてきた人物だったのです。
1996年1月、フリッツはメリーランド州へ向かい、あの夜の米兵の一人ラルフ・ブランクとの再会を果たしました。半世紀ぶりの対面は、実に感動的なものでした。
「あなたのお母さんが、私の命を救ってくれたんだ」──ラルフはそう語りました。

ラルフ・ブランクとフリッツ・フィンケン
戦争という極限状態においても、思いやりと寛容さが敵味方の壁を越えられること──この一家の物語は、人間の尊厳が戦火の中でも失われないことを、今なお私たちに伝えています。