古代の歴史

中国の文化大革命とは?毛沢東が主導した政治粛清運動の歴史を徹底解説

プロレタリア文化大革命(通称:文化大革命)は、毛沢東が主導した政治粛清運動です。その目的は、中国共産党の内部から「ブルジョア的」「資本主義的」とみなされた要素を一掃することにありました。この運動によって約100万人が死亡したと推定されています。

毛沢東と文化大革命

中国の文化大革命とは?毛沢東が主導した政治粛清運動の歴史を徹底解説

1950年代後半、毛沢東は中国を工業国へと変革しようと試みました。そのために打ち出したのが「大躍進」政策でしたが、これは失敗に終わります。

権力を維持し、反対派を封じ込めるため、毛沢東は都市部の階層、とりわけ学生を動員する攻勢を準備しました。

その一環として「再生キャンペーン」を展開し、「四旧(しきゅう)」すなわち古い思想・古い文化・古い習慣・古い風習と闘うよう国民に呼びかけました。これらは共産党指導者の思想に置き換えられるべきものと位置づけられたのです。

労働者階級や農民階級が称賛される一方、文化や知識に関わる一切が拒絶されました。「紅衛兵(こうえいへい)」として組織された学生たちは、教師を告発し、記念碑を破壊し、文学作品を焼き払いました。

文化大革命は、毛沢東の言葉や思想をまとめた「毛主席語録」(通称:赤い小冊子)に導かれました。この書物は学校・軍隊・あらゆる中国の機関で必読とされました。

数多くの教授、政治家、知識人がブルジョアジーや資本家であるとして告発され、農村や工場へ送られ、共産主義的価値観による「再教育」を受けさせられました。

さらに毛沢東は自らへの個人崇拝を推し進め、「偉大な舵取り」と称されました。人民大衆の参加なしに、中国人民を繁栄へ導く存在とされたのです。

文化大革命の帰結は悲惨なものでした。膨大な芸術作品が失われ、約100万人が殺害・投獄され、職業活動から追放されました。しかし毛沢東にとって、この運動は国内および党内における自身の地位を盤石なものにしました。

文化大革命は1969年に公式に終了しましたが、多くの歴史家は、1976年の毛沢東の死をもって真に終焉したと見ています。

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大躍進政策と文化大革命の関係

中国の文化大革命とは?毛沢東が主導した政治粛清運動の歴史を徹底解説

大躍進政策は、1958年に毛沢東が開始した強制的な工業化政策です。

その狙いは、人口が多く農業中心だった中国を、短期間で工業国家へと転換することにありました。このため毛沢東は、ソ連のスターリンが用いた手法――土地の強制集団化、住民の移住、農業活動の放棄――を採用しました。

しかし結果は壊滅的でした。中国は期待されたほどには工業化せず、農地は放置され、その結果として広範囲に及ぶ飢饉が発生し、最大3800万人が死亡した可能性があるとされています。

このような大混乱の中で毛沢東の求心力は低下し、党内からもより多くの政治参加を求める異論の声が上がりました。そこで毛沢東は、若者の支持を獲得するために文化大革命を発動することを決断したのです。

文化大革命の起源と背景

第二次世界大戦(1939~1945年)の終結後、世界は資本主義陣営と共産主義陣営という二つの対立する政治・経済圏に分断されました。この時代は冷戦として歴史に刻まれ、政治的・軍事的緊張が続く時期となりました。

1949年、毛沢東の指導下にある中国は社会主義の道を選択し、当時ヨシフ・スターリンが率いていたソビエト連邦と歩調を合わせました。

アジア大陸では、朝鮮半島を恒久的に分断することとなる流血の紛争、朝鮮戦争(1950~1953年)も勃発しました。中国と国境を接する北朝鮮は共産化し、中国の同盟国となりました。

ちょうど1950年代、ソ連では権力交代が起こります。スターリンが死去し、ニキータ・フルシチョフ(1894~1971年)が後継者となりました。彼はスターリンによる数々の犯罪を告発し、ソ連体制の改革に乗り出す姿勢を示しました。

これに幻滅した毛沢東は、かつての同盟国ソ連から距離を置き、中国独自の経済的・政治的革命を遂行することを決意します。

ここに中国政治の新たな段階が幕を開け、独自の共産主義の道である「毛沢東思想(マオイズム)」が形成されました。この政治イデオロギーは、その後、世界各地のさまざまな政治運動に多大な影響を与えることになりました。

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文化大革命に関する豆知識

  • 文化大革命では京劇が深刻な打撃を受け、舞台装置や衣装がことごとく破壊されました。
  • 宗教もまたブルジョア的なものとみなされ、多くの僧侶が国外追放され、キリスト教会も廃止の対象となりました。
  • 1981年、中国政府は文化大革命が重大な過誤であったことを公式に認め、国民に対して謝罪しました。