ハスドルバルの死とハンニバルの将軍就任(紀元前221年)
紀元前221年、スペインにおけるカルタゴ軍の総司令官ハスドルバルが暗殺されると、歴史家リウィウスが記録する劇的な場面が展開しました。兵士たちは若きハンニバルをただちに司令官の陣幕へと担ぎ込み、異口同音に将軍と宣言したのです。この兵士たちの推戴が民会の投票によって正式に承認されたことについて、疑いを抱く者は誰一人としていませんでした。
ハンニバルはまだ思春期に達したばかりの頃、すでにハスドルバルからの書簡によってスペインへ呼び寄せられていました。こうして彼は、父アミルカル・バルカからハスドルバルへと受け継がれてきた権力を、26歳の若さで継承することになったのです。
元老院を二分した激論
この件に関する元老院の審議において、バルカ派はこの提案を強く支持しました。すなわち、「ハンニバルは武芸に習熟し、父祖の権力の遺産を受け継ぐべきである」というのです。
これに対し、反対派の指導者ハンノは次のように演説しました。「諸君にお願いがある。それは一見きわめて正当なものに見えるが、私はそれを拒否すべきだと考える」。この一見矛盾した奇妙な意見は、たちまち広く注目を集めました。
ハンノの警告
「そうなのだ」とハンノは続けました。「ハスドルバルは、その父が若き盛りの時代に惜しみなく捧げたものを、今度は息子から要求する全権を自らが有していると信じているのだ。そもそも戦争とは、真っ先に我々の将軍たちの気まぐれに委ねられるものなのか? さらに言えば、アミルカルの息子が、父が振るった絶対的権力、すなわち王権の姿をあまりにも早く目にすることを、我々は恐れているのだろうか?」
「そして、この君主の娘婿が世襲の権利によって我々の軍を指揮するようになったとき、息子の笏が我々の頭上に重くのしかかるのは、あまりにも遅すぎるのではないか。この若者にはカルタゴにとどまることを命じ、法と行政官への服従を通じて、市民の平等の中で生きる術を学ばせるべきだ。これこそが私の意見である。あの小さな火花が、いつの日か燎原の火となって燃え広がることを、我々は恐れねばならない」
ハンノの警告は、後にハンニバルがローマとの第二次ポエニ戦争を引き起こすことを予感させる、痛切な預言となりました。しかし当時の元老院ではバルカ派の勢いが勝り、ハンニバルの将軍就任はそのまま承認されることになります。