古代の歴史

シラクサ包囲戦と大疫病――紀元前212年秋の悲劇

包囲網の強化と敵の反撃

エウリュアレ要塞を掌握したマルケッルスは、同要塞に守備兵を置いたことで、もはや大軍が城塞内に侵入し、背後から奇襲を仕掛ける恐れを抱かずに済むようになった。城壁に囲まれた狭い空間では兵士たちが展開できないためである。続いて彼は、好位置に配置した三つの陣営によってアクラディナを包囲し、徹底した飢餓状態に追い込んで籠城軍を屈服させようと図った。

数日のあいだ、両軍は静観を保っていた。しかし、ヒッポクラテスとヒミルコの到着により、ローマ軍は突如として各方面から攻撃を受けることになった。ヒッポクラテスは大港の近くに陣を敷き、そこからアクラディナの守備隊に合図を送ると、クリスピヌスが指揮するローマ軍の旧陣営を攻撃した。一方、エピキュデスはマルケッルスの前哨陣地へ打って出た。さらにカルタゴ艦隊も、マルケッルスがクリスピヌスへ援軍を送れないよう、市街とローマ陣営のあいだの海岸へ接近していた。

だが、敵の襲来による警報は戦闘そのものよりも激しいものであった。クリスピヌスはヒッポクラテスの攻撃を撃退しただけでなく、これを敗走させて追撃まで加えた。マルケッルスもまたエピキュデスを市内へ押し戻し、以後は不意の突出を恐れる必要がなくなったかに見えた。

両軍を襲った疫病

ところが、戦争の惨禍に加えて、伝染病が両軍を襲い、敵対行為を中断せざるを得なくなった。秋の異常な暑さと土地の不衛生さが原因となり、両陣営において、とりわけ市外の陣営でほぼ全滅に近い疫病が発生したのである。

まず秋の気候と悪質な空気が致命的な病をもたらした。まもなく、病人への看病や接触そのものが感染を広げていく。看病に当たる者には、病人を見捨てて助けも慰めも与えずに死なせるか、あるいは枕辺に付き添いながら瘴気を吸い込むか、二つに一つの選択しか残されていなかった。

人々の目に毎日映るのは死と葬儀ばかりであり、昼も夜も聞こえるのは呻き声だけだった。死者に涙と悲嘆を捧げることは当然の務めでありながら、遺体を運び出して埋葬することすらおろそかにされた。地面は、同じ運命を待つ者たちの目の前で横たわる死体で覆われた。恐怖と、死者および瀕死の者たちが発する腐臭が、病人の死を早め、まだ健康だった者にも感染をもたらした。中には剣による死を選び、独りで敵の前哨へ攻めかかる者さえ現れた。

カルタゴ軍の壊滅

しかし、疫病は長期の包囲に慣れ親しんだローマ軍の陣営よりも、カルタゴ軍の陣営においてはるかに甚大な被害をもたらした。敵軍に従軍していたシケリア(シチリア)人たちは、この感染が土地の不衛生さに起因すると見ると、シラクサからほど近い自らの諸都市へ急いで帰還した。だが、他に逃げ場を持たないカルタゴ人たちは、指揮官のヒッポクラテスとヒミルコを含め、最後の一人まで死に絶えた。

災厄がさらに激しさを増すと、マルケッルスは衰弱した兵士たちの身体に幾分かの安らぎを与えるため、覆いや日陰のある市街の中を通って行軍させた。それでもなお、この悪疫はローマ軍からも多くの人命を奪ったのである。