サグント陥落後のローマの反応 ― ハンニバルの脅威に揺れた元老院
紀元前219年、ハンニバル率いるカルタゴ軍による約8か月に及ぶ包囲攻撃の末、イベリア半島東岸の同盟市サグント(サグントゥム)は陥落した。この悲報は、まさにローマが歴史の転換点に立たされた瞬間――第二次ポエニ戦争開戦の前夜――の出来事であった。以下では、古代ローマの歴史家リウィウスの記述に基づき、陥落の知らせを受けたローマ元老院の反応をたどっていく。
二重の衝撃がローマを襲った瞬間
カルタゴへ派遣された使節団が、友好的な合意どころか敵対的な姿勢だけを伝えて帰国したのは、サグント陥落の報せが届いたのとほぼ同時であった。この二重の衝撃に、元老院は完全に狼狽した。
同盟市でありながら、卑劣なやり方で滅ぼされたサグントの人々の運命に、元老院議員たちは深く心を打たれた。援軍を送れなかった自分たちの怠慢を恥じて顔を赤らめると同時に、カルタゴへの激しい怒りと、来たるべき未来への恐怖を抱いたのである。その衝撃はあまりに大きく、まるでハンニバルがすでにローマの城門の前に立ちはだかっているかのようにすら感じられた。一度に押し寄せるあまりにも多くの感情に、人々の心は決断を下すどころか、ただ翻弄されるばかりだった。
「剣術遊び」とは違う、本物の戦い
当時のローマ人たちは、これほど恐ろしく、これほど好戦的な敵と戦わなければならない事態に直面したことは一度もなく、また、ローマがこれほどまでに無気力と弱さをさらけ出したこともなかった、と振り返っている。
確かに、それまでのローマの征服事業――サルディニア、コルシカ、イストリア、イリュリアの制圧――は、ローマ軍にとってフェンシングの試合のようなものであり、命懸けの闘いとは言えなかった。ガリア人も、戦争というよりは騒乱を起こした程度にすぎない。
しかしカルタゴ人は話が別だった。彼らは武芸という過酷な修業の中で老いた、誇り高い宿敵である。スペインにおいて23年間、常に勝利を収め続け、三人の将軍――父ハミルカル・バルカ、義理の息子ハスドルバル、そして今や恐れを知らぬ総帥となったハンニバル――のもとで、成功以外のものを味わったことがなかった。
全世界と戦うことになるローマ
イベリア半島で最も豊かな都市サグントを滅ぼしたばかりの勢いに乗じ、カルタゴ軍は大勢のスペイン諸民族を引き連れてエブロ川を越えた。さらに、常に戦争を渇望してやまないガリア人たちも、まもなくこれに加わるだろう。
こうしてローマが向き合うことになったのは、単なる一国との戦争ではない。イタリアの地で、しかもローマの城壁の下で、全世界と戦う覚悟なのである。サグントの陥落は、古代地中海世界最大の衝突となる第二次ポエニ戦争(紀元前218年〜前201年)の幕開けを告げる出来事だったのである。