古代の歴史

スパルタカス――ローマに立ち向かった反逆の剣闘士

古代ローマにおける奴隷たちの暮らし

古代ローマ社会において、奴隷はごく身近な存在でした。彼らは裕福な主人の家で働き、その見返りとして衣食を得ていました。当時のローマでは人口のおよそ10人中8人が奴隷だったとされ、特に富裕な主人の中には500人から1000人もの奴隷を所有する者さえいました。

ローマ市民は「プラエノーメン(個人名)」「ノーメン(氏族名)」「コグノーメン(家族名)」という三つの名前を持っていましたが、奴隷にはコグノーメンしか与えられませんでした。奴隷となる経緯はさまざまで、両親がすでに奴隷であったために生まれつき奴隷として生きる者もいれば、大多数は戦争で捕虜となったことがきっかけでした。

征服戦争で捕らえられたアフリカ出身の黒人奴隷も決して珍しくありませんでした。彼らは商品とまったく同じように広場での競売にかけられ、首には出身国や能力、資格を記した札が下げられていたのです。

奴隷は人間として扱われず、一切の権利を持ちませんでした。子どもたちは主人の所有物とみなされたため親権も認められず、結婚することも、裁判に訴えることもできませんでした。主人は奴隷に対して生殺与奪の権利を握っていたのです。彼らの仕事は、料理、洗濯の手伝い、庭仕事など、主人やその妻がしない日常的な家事全般でした。また、主人が催す宴会の際には全員が駆り出されるのが常でした。さらに中には、円形闘技場で戦うことを強いられ、その興行によって主人に富をもたらす者もいました。それこそが剣闘士(グラディアトル)です。

スパルタカス:反逆した剣闘士

スパルタカスはトラキア出身の剣闘士でした。当時のローマでは、人間同士、あるいは人間とライオンや熊との戦いを見物することが人気の娯楽となっていました。しかし、自らも被害者の一人であった奴隷制に反旗を翻し、スパルタカスは15万人もの奴隷を率いて蜂起します。

この即席の軍隊では、一般の奴隷が兵士として、剣闘士たちが指揮官としての役割を担いました。反乱の発端は、スパルタカス、クリクスス、オエノマウスの三人が約30人の仲間とともに、カプアの剣闘士養成所レントゥルスの門を打ち破ったことでした。彼らはほどなくして同じ境遇の仲間1万人を集め、ヴェスヴィオ山に拠点を構えます。クロディウス・グラベルの包囲を受けましたが、「蔓の芽で作った縄を使って火口の峡谷を滑り降り、山のふもとへと脱出」することに成功しました。その後、敵の陣営を次々と攻撃し、ほぼすべてを打ち破ります。ノラやヌケリア、トゥリイやメタポントといった都市では虐殺や略奪も行われました。勝利を重ねるごとに加わる奴隷は増えていき、スパルタカスの構想はついに「ローマへの進軍」という目標へと発展していったのです。

スパルタカスの最期については複数の説が伝えられています。一説によれば、筏でシチリア島へ逃れようとした際に戦死したといわれ、真の英雄にふさわしい最期とされます。しかし、より悲劇的な結末を伝える説もあります。圧倒的な兵力によって軍勢が鎮圧され、元剣され、元剣闘士である彼は磔刑に処されたというのです。それはイエス・キリストが同じ刑罰を受けるおよそ100年前の出来事でした。

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