古代の歴史

新金属アルミニウムに注目――1867年パリ万国博覧会の見どころ

輝くものへと吸い寄せられる来場者

展示宮殿に入った来場者の多くは、案内図が示す論理的な順路には従わなかった。放射状に延びる通路の一つを選び、円周の中心へと近づくにつれて、人々はまっすぐに「輝くもの」を目指したのである。サン=ゴバンの鏡、セーヴル磁器、ゴブラン織りの絨毯、バカラやボヘミア産のクリスタルガラス。さらにクリストフル社の豪華な飾り台や、フォロマン=ムーリス社のより控えめながら精緻な傑作に見入った。とはいえ、何よりも注目に値したのは、新たな発見や新しい産業応用への挑戦であった。

機械館――蒸気に代わる新たな動力と鉄道の進化

最も外側に位置し、他のすべての館を包み込むように建てられていた機械館には、観察の題材が豊富に揃っていた。往年の蒸気機関の装置のそばに、ガスや圧縮空気といった別の駆動力を用いる装置が姿を見せ始めていた。鉱山向けの採掘機械も、今後発揮されるであろう重要性に見合う改良が施されていた。

とりわけ示唆的だったのは鉄道の展示である。あらゆる産業の主導権を握ろうとするこの巨大な輸送産業は、当時まさに急速な進化の途上にあった。当初は速度の向上だけが追求され、その偉業に公衆も技師たちも酔いしれ、しばし成功の上に安住していた。しかしやがて人々は新たな進歩を求めるようになった。長距離移動の快適さを約束する各種の標準型客車、そして事故を防ぐためのさまざまな保安装置や信号機の開発である。

原料館――新金属アルミニウムの登場

機械館から原料館へと移ると、その様相は一転し、質素で無骨な印象へと変わった。そこで最大の好奇心を集めたのが、軽量でありながら強度にも優れる新金属、アルミニウムであった。また、石油由来の油も目を引いた。存在は古くから知られていたものの、当時はまだほとんど実用化されていなかったのである。

衣料館――繊維産業が直面した苦難

続く諸館、とりわけ衣料館では、繊維産業各分野の状況を追うことができた。

綿工業には、1861年から1865年にかけて業界を圧迫した危機の痕跡が色濃く残っていた。その影響で、展示品の一部には精緻さにも堅牢さにも欠けるものが見受けられた。絹織物業もまた、決して楽な時期ではなかった。セヴェンヌ地方一帯を荒廃させた蚕の病害に加え、ファッションの急激な変化も打撃となったのである。カーテンや調度品の装飾にこそふさわしい華美な意匠が、身につける衣服においては気取りの過剰であり趣味の退廃にすぎない、という認識が広まり始めていた。さらにクリノリンも姿を消しつつあった。この賢明な回帰は、リヨンの絹織物メーカーに少なからぬ打撃を与え、創作の洗練度や多様性の面で、シャン・ド・マルスの万国博覧会は前回の博覧会と比肩することさえ難しい有様だった。

庶民のための展示と皇帝の模範住宅

一連の館では、手頃な価格の日用品が展示されていた。確かに一見すると、全体はやや雑然とした小ぶりな光景であり、幼稚な品や未熟な出来栄えを指摘するのも容易だった。だが、そうした瑕疵は、この企画を貫く寛大な理念の前では霞んでしまう。この展示は、園内の随所に点在する労働者向け模範住宅によって補完されていた。範を垂れるべく、皇帝ナポレオン3世自らが労働者住宅のコンクールに参加し、出品者の一人に名を連ねたのである。

労働史館と美術館――宮殿の中心に

円周の中心部のほど近くには、いわゆる労働史の館が設けられていた。そこはまさに、本格的な回顧博物館であった。

労働史館とともに、美術館もまた宮殿の中央を占めていた。出品は1855年1月1日以降に制作された作品に限られていたため、過去の時代を飾った巨匠たちの作品を探しても見つかることはなかった。やや規模は縮小したとはいえ、フランス画派は依然としてシャン・ド・マルスの博覧会で第一の座を保っていた。直前に世を去ったイッポリット・フランドランを筆頭に、ジェローム、メッソニエ、カバネル、テオドール・ルソー、コロー、ミレー、ブルトンらの名が連なる。彫刻の分野でもフランスの優位は同様に示され、クロー、カルポー、ファルギエール、ギヨームらがそれを証明していた。