封鎖の解除と、なお続いた空輸
1949年5月、ベルリン封鎖はついに解除された。しかし西側連合国による空輸作戦は直ちに中止されることはなく、9月まで運航が続けられた。こうして四大国は、ドイツの将来をめぐる協議を再開することになったのである。
だがその頃には、情勢はすでに大きく動いていた。北大西洋条約(NATO)は調印を終え、西ドイツの憲法にあたる基本法も完成していた。現実には、二分されていたのはベルリンだけではない。ドイツという国家そのものが、東西に引き裂かれていたのだ。
封鎖が示したもの――冷戦の本質
この東西分裂をもたらしたのは、まさしく封鎖そのものであった。より広い視点で見れば、ベルリン封鎖は二つの重要な事実を浮き彫りにした。第一に、「冷戦」には現実の危険が伴うということ。第二に、しかし西側諸国もソ連も、実際の軍事衝突までは望んでいなかったということである。
そこにこそ解決の糸口があった。すなわち、それまで「冷戦」を特徴づけてきた、統一ドイツの主導権をめぐる西側とソ連の競争を、双方が放棄することである。
問われたのは「いつ」ではなく「あるのか」
今後の問題は、ドイツがいつ、どのような形で再統一されるのかを知らないことではなかった。むしろ、そもそも再統一は実現しうるのかどうか、という点に移っていたのである。そしてそれは、紛争や競争によってではなく、交渉によってのみ答えが出される課題となった。
朝鮮戦争勃発、それでも欧州は静穏を保った
翌1950年6月、朝鮮半島で戦争が勃発した。アジアが戦火に包まれる中、欧州は驚くほど平静を保っていた。その最大の要因は、ベルリン封鎖から得られた教訓にある。「冷戦」は武力衝突に至らない限界競争であり、相手を完全に打ち倒すものではない――この認識のもとで、「冷戦」の性格は完全に一変していたのである。