運動戦から塹壕戦へ——接近戦の武器が求められた理由

第一次世界大戦は、序盤の運動戦から次第に陣地戦へと移行していった。戦闘形態の変化に伴い、求められる装備もまた進化を余儀なくされたのである。
とりわけ塹壕を主舞台とする陣地戦では、至近距離での白兵戦が日常化した。そこで必要とされたのが、兵士一人ひとりに持たせる短剣(ダガー)だった。
当初、兵士たちは自作でこれを賄った。たとえば不要となった銃剣の刃を切り詰めて、即席のダガーに仕立てるといった工夫が見られた。
やがてフランス軍は民間企業に発注し、短く先細りの刃を持つ塹壕用ダガーを正式に調達するようになる。ここで紹介するモデルも、そのひとつだ。
このトレンチナイフは、敵塹壕へ突入して白兵戦を挑む「塹壕掃除班(ネットワイヤー)」たちの最もお気に入りの武器となった。
1915年——忘れられた武器の復活
1915年初頭、塹壕戦の泥沼化により、フランス軍では長らく姿を消していた武器、すなわちダガーが復活することとなった。白兵戦では、手に持って突き刺すための短く扱いやすい武器が必要だった。それは、銃剣の思想とは正反対の存在である。
当時の銃剣は、グリップの握りこそ比較的快適だったものの、刃が長すぎてライフルの先端以外では実用にならなかった。フランス軍の刃長は52cm、ドイツ軍は52cmと37cmの2種、イギリス軍は43cm(唯一オーストリア軍のみ25cmと、例外的に恵まれていた)。この状況を受けて短刃武器の調達は急務となり、各国陣営で直ちに登場することになった。
フランスで製造されたトレンチナイフには2系統ある。ひとつは今回のために一から新造されたもので、もうひとつは退役銃剣の刃を転用したいわば「混成型」である。
なぜ「1870年の復讐者」なのか
最もポピュラーなフランス製トレンチナイフのひとつである本モデルは、「1870年の復讐者(avenger of 1870)」の通称で知られる。普仏戦争(1870年)の雪辱を誓うこの誇り高い標語が、護拳(ガード)際の刃に刻まれることがあったためだ。
製造は複数のメーカーが担当した。刃物の町として名高いティエールのベッセ(Besset)、A・ブルガード(A Bourgade、刻印は中国人の顔)、S.G.C.O、その他数社である。
構造とスペックの詳細
刃は両刃で、フランス国内で製造されたアメリカ軍MK1トレンチナイフと共通のスタイルを持つ。全長約280mm、重量はわずか150g(鞘込み215g)と、取り回しに優れた軽量設計だ。
内部構造はフルタン方式で、刃はシャンク(茎)となって柄の末端まで貫通し、ネジ部のナットで強固に固定される。護拳は余裕のある78mm幅で、滑らかな木製グリップは海軍のボーディングナイフ(接舷刀)を彷彿とさせるやや楕円形の断面を持ち、極めて良好な握り心地を実現している。
鞘は薄い鋼板で作られている。ベルト通しは開口幅75mmのワイドな設計で、曲げ加工した金属棒1本で構成される。棒の一端は平たく潰したうえで中程までネジ切りされ、製造工程で鞘に挿入した後、鞘を折り返してはんだ付けで固定。このループはリベット1本で鞘上部に留められている。
唯一の重大な欠点——緩み
本武器に対する最大の批判は、構造が緩みやすいことだ。柄の固定ナットをどれほど強く締め直しても、護拳は刃の上で容易に、しかも音を立てて動いてしまう。経済的かつ巧妙な組み立てのベルト通しも同様で、こちらも簡単にグラついてしまうのである。
大戦後も生き続けた実戦派ナイフ
このナイフは終戦まで第一線で使われ続け、さらに戦後も長く現役にとどまった。1930年代初頭には、一部の戦闘戦車連隊においてルノー戦車の乗員に支給され(1920〜1945年頃)、さらには1940年には一部の戦車大隊(B.C.C.)、とりわけ第49戦車大隊にも配布されている。