古代の歴史

ユトランド海戦1916:ビーティ提督の追撃とドイツ艦隊の反撃

1916年5月31日午後12時40分、イギリス海軍の駆逐艦アーデント(HMS Ardent)が、東方に煙を発見したことを報告した。艦隊の先頭に立っていたビーティ(David Beatty)提督は、西へ向かうデンマーク籍の蒸気船とすれ違いざま、同船から「前方に数隻の巡洋艦を確認」という通報を受け取った。

全速力での追撃と巧妙な罠

この通報を受け、ヒッパー(Franz von Hipper)中将率いるドイツ巡洋戦艦部隊を発見したと確信したビーティは、全速力で目標へと向かった。ここで彼が仕掛けたのが巧妙な罠である。自艦隊の主力を水平線の後方に隠して待機させ、ドイツ側に「敵は少数だ」と思い込ませる作戦だった。さらにその後方には、ジェリコー(John Jellicoe)提督率いるグランドフリート(本国艦隊)の主力が密接に続行しており、敵を追い詰めたところで決定的な一撃を加える体制が整えられていたのである。

ドイツ艦隊もまた準備万端

しかし、ドイツ艦隊もまた油断していなかった。午後3時10分、ドイツ軍はまずイギリス巡洋戦艦の旗艦ライオン(HMS Lion)を視認し、続いてプリンセス・ロイヤル、クイーン・メリー、タイガー、ニュージーランド、インディファティガブルの各艦を次々と捕捉していった。

これに対しドイツの巡洋戦艦部隊は、北方へと展開して陣形を広げ、デアフリンガー、ザイドリッツ、モルトケ、フォン・デア・タンの4隻を前面に露出させる布陣を敷いた。こうして、世界最大の海戦となるユトランド沖海戦の火ぶたが切って落とされようとしていた。