古代の歴史

ノモンハン事件1939――ハルハ河国境紛争の発端

1939年5月11日――国境を越えた騎馬の群れ

1939年5月11日、内モンゴル(占領下の満洲)から数百人の騎兵が、第23師団(小松原師団)所属の日本軍「顧問」たちに付き添われ、国境を越えてノモンハンの村へと駆け抜けていった。住民たちには、西岸8キロ先の丸太造りの砦に駐屯する国境警備隊へ知らせる余裕すらなかった。

翌日、侵略者たちは再び国境を越えてきた。それは20世紀の二大国同士の対決というよりも、むしろ伝統的な部族間抗争に近い動きだった。絶叫しながら突撃する騎兵の大群は、日本軍に率いられた宿敵バルグト族の周囲を全速力で駆け巡ったのである。

空襲がもたらした「20世紀」

5月14日、侵略者たちは今度こそ本格的に戻ってきた。今回は300名の日本軍騎兵が後押ししていた。騎兵隊を守備隊の周辺まで押し戻すのに要した時間は、わずか数時間だった。その夜、現地のソ連軍顧問ブイコフ少佐が救援として呼ばれた。

翌朝、ブイコフがこの中世的な戦場へと車を走らせると、「20世紀」は日本軍の空襲という形でその姿を現した。空襲は彼の部下たちを恐怖に陥れ、後には廃墟だけを残した。警戒を怠らなかったブイコフは、モンゴル第6騎兵師団と、付近に展開するわずかなソ連軍分遣隊の即時派遣を要請した。ところが、増援部隊が川の西岸に集結している間に、攻撃側の部隊は対岸から忽然と姿を消してしまったのだ。

猫とネズミの攻防

5月22日の夜、ブイコフは慎重に川向こうへの威力偵察を実施した。しかし日本軍は、ノモンハンに生い茂る背の高い草の中に身を潜めて待ち構えており、彼はハルハ河まで激しい戦闘を交えながら退却せざるを得なかった。

猫とネズミの駆け引きは続いた。5月25日、ブイコフは全兵力を慎重に前進させた。続く2日間は、東岸の掃討と、放棄されていたノモンハンの村の再占領に費やされた。この時点でソ連側に動員された兵力は約1万人に達し、その大半は警察部隊であり、若干の専門中隊がこれを支援する体制だった。

決定的なエスカレーション――5月28日

国境紛争は急速に拡大の一途をたどり、5月28日についに新たな節目を迎える。5千名の日本軍正規兵が部族騎馬の群れに護られ、夜明け前にブイコフの部隊へ殺到したのである。赤軍の古参将校であるブイコフが陣形を慎重に構築していたことが幸いし、彼の部隊は再び包囲殲滅を免れ、河岸まで退くことに成功した。

とはいえ、警鐘はすでにクレムリンでも鳴り響いていた。その日の夕方には、ソ連第149自動車化歩兵連隊の各部隊が集結し、直ちに戦線へ投入されることになった。戦闘は夜通し続き、翌朝にはソ蒙連合軍の反撃によって日本軍は再び国境線まで押し戻された。この戦いで日本軍が被った損害は約400名に上った。