歴史の転換点としてのスターリングラードの戦い
スターリングラードの戦いは、その意義と性格の両面において、第二次世界大戦における重大な転換点となりました。
- 1945年に赤軍がベルリンを攻略し、ドイツが最終的に敗北するまで続く、東ヨーロッパにおけるドイツ軍の絶えることのない撤退の起点となりました。
- 歴史上最も多くの犠牲者を出した戦いとされています。
- 市街戦の異常なまでの激しさによって、後世に強く記憶されています。
地政学的転換点と心理的転換点
1941年にモスクワ前面でドイツ国防軍が撃退されたことが第二次世界大戦の地政学的転換点であるならば、スターリングラードにおけるソ連軍の勝利は、まぎれもなく心理的な転換点でした。
スターリングラードの戦いは、その残虐性と、民間人の犠牲を顧みない姿勢によって特徴づけられます。従来型の「包囲戦」とは異なり、このロシア南部の都市(現在のヴォルゴグラード)では、ドイツ軍とその同盟国を相手に、主として市街戦が展開されました。戦い全体は、ソ連の都市に対するドイツ軍の包囲、市内での激烈な攻防、そしてソ連軍による大規模な反攻という局面から構成されています。
総死者数は100万人から200万人と推定されており、これは1日あたり4,500人から9,000人が命を落としたことに相当する、想像を絶する数字です。
「終わりの始まり」——1943年2月2日の降伏
1943年2月2日、ドイツ軍がソ連軍に降伏したことは、枢軸国軍にとって「終わりの始まり」を告げる出来事とみなされています。枢軸国は兵力の4分の1と、東部戦線における主導権を失いました。「希望は陣営を移り、戦いは魂の闘いとなった」のです。
コラムニストが遺した痛烈な評
しかしながら、この戦いについては、コラムニストのデルフェイユ・ド・トン(Delfeil de Ton)が次のように痛烈に評しています。
「100万人のドイツ人――その90%はナチスではなかった――が、100万人のロシア人――その90%は共産主義者ではなかった――と殺し合ったのだ。占領者と戦ったのだから、それだけで十分な動機になる、と反論する者もいるだろう。」