古代の歴史

「グレート・スワン」と「マーケット・ガーデン」――1944年秋、連合軍の電撃進撃と史上最大の空挺作戦 全記録年表

1944年6月のノルマンディー上陸から2か月余り、連合軍はファレーズでドイツ軍を包囲・撃破すると、フランス全土へ電撃的な追撃戦を展開しました。この猛スピードの進撃は「グレート・スワン(大白鳥)」と呼ばれます。そして9月17日には、ライン川の橋を一挙に奪取して戦争の早期終結を目指す、史上最大の空挺作戦「マーケット・ガーデン」が発動されました。以下、両作戦の動きを日付順にたどります。

「グレート・スワン」――セーヌ川からベルギーへ

8月下旬:渡河と追撃

8月25日~27日:英第12軍団と第30軍団がセーヌ川を渡河し、追撃を開始。

8月29日:第30軍団がベルギー方面へ進撃を開始。しかしドイツ軍の抵抗を受け、前進はわずか約30キロにとどまる。

8月30日:第30軍団にアミアン近郊の橋の確保が命じられる。

8月31日:午前11時までにすべての橋を確保。第12軍団もセーヌ川を離れ、北へ向けて進撃を開始。

9月上旬:主要都市の解放

9月1日:第30軍団所属の近衛機甲師団と第11機甲師団がアラスおよびオビニーに到達。第12軍団もセーヌ川の渡河を完了。

9月2日:第30軍団は、予定されていた空挺部隊の降下を待つため、進撃速度を落とすよう命令を受ける。

9月3日:空挺降下は中止となる。近衛機甲師団の第3・第5旅団がブリュッセルへ突進し、第3旅団が同市に最初に入った。一方、第12軍団はベテューン前面で足止めされる。

9月4日:第11機甲師団がアントウェルペンに到達し、港湾都市を解放。

9月5日:第12軍団の第50歩兵師団がゲントに到達。

9月6日:第11機甲師団と近衛機甲師団がそれぞれアントウェルペンとブリュッセルを発ち、前進を再開。

9月8日:第50歩兵師団がヘールにおいてアルベルト運河を渡河。

9月10日:近衛機甲師団はヘヒテルでドイツ軍に2日間足止めされた後、さらに前進を続ける。

9月13日:第15歩兵師団がレルティ付近でムーズ川=スヘルデ運河を渡河。

「マーケット・ガーデン」作戦――9月17日、空挺部隊が舞い降りる

9月17日:作戦が発動。英第1空挺師団はアルンヘム近郊に、米第82・第101空挺師団はそれぞれグラーフェ〜ナイメーヘン、アイントホーフェン〜フェヘルに降下。地上からは英第30軍団が国境から北上を開始した。無傷で降下した第82師団はムーズ川とムーズ=ワール運河の橋を確保したものの、ナイメーヘンでは強固な抵抗に遭遇。第101師団も目標をほぼ確保した。しかしアルンヘムでは、ドイツ軍の大部隊が降下地域と市街を塞いでおり、橋までたどり着けたのはわずか1個大隊だけで、まもなく孤立してしまう。

9月18日:ドイツ軍の反撃により、米反撃により、米軍はナイメーヘンの橋を奪取できず。ドイツ軍は、増援の到着を阻むべくアルンヘムの降下地域への強力な攻撃を準備。

9月19日:第30軍団の先遣部隊がナイメーヘンで空挺部隊と合流。アルンヘムでは、橋を死守する部隊へのあらゆる増援の試みが失敗に終わる。

9月20日:米第82空挺師団と英第30軍団による合同攻撃の結果、ナイメーヘンの橋をようやく確保。

9月21日:アルンヘムの橋頭堡で英軍が圧倒される。生存者は下ライン川北岸、オーステルベーク西方の防御陣地に退き、最後の抵抗を続ける。

9月22日:第30軍団の前進がドイツ軍によって遅滞。ポーランド第1独立空挺旅団が川の南岸への降下を開始。

9月23日:ポーランド旅団と第30軍団先遣部隊による渡河の試みは失敗。

9月25日:アルンヘムに残った空挺部隊の生存者の撤退が開始される。

作戦の結末

「マーケット・ガーデン」は、ナイメーヘン以南ではおおむね成功したものの、最終目標であるアルンヘムの橋を確保できず、失敗に終わりました。降下した約1万人のうち、撤退できたのは2千人余り。この悲劇は後に「遠すぎた橋(A Bridge Too Far)」として映画化され、作戦の限界を象徴する出来事として語り継がれています。