
激しい論争を呼んだ「ドラグーン作戦」とは
第二次世界大戦の中で、これほど激しい論争を巻き起こした作戦は少ない。1944年8月15日、南フランス・プロヴァンスで実施された連合軍の上陸作戦、通称「ドラグーン作戦」である。当初は「アンヴィル(金床)」と呼ばれていたこの作戦は、フランクリン・D・ルーズベルト大統領やドワイト・D・アイゼンハワー将軍を筆頭とするアメリカ側が強く推進したもので、「オーヴァーロード作戦(ノルマンディー上陸)」に不可欠な補完作戦と位置づけられていた。
「アンヴィル」と「オーヴァーロード」は、テヘラン会談およびカイロ会談(1943年11月〜12月)において、1944年初夏の同じ日に実行することが決められた。両作戦は、北と南からフランス国内のドイツ軍を挟撃するという構想だった。フランスとイギリスは挟撃の原則そのものには賛成したものの、「南側の顎」としてプロヴァンスが最適地であるかどうかについては、強い異論を唱えていた。
チャーチルが恐れたこと
チャーチルのようにプロヴァンス上陸を批判した人々にとって最大の懸念は、欧州における英米の戦争努力があまりにも西側に傾くことであった。「アンヴィル」から改称されたこの上陸作戦は、東からドイツに圧力をかけ続けるソ連軍の自由を事実上容認することになり、ソ連が戦後ヨーロッパの大部分に自らの意志を押しつける危険性をはらんでいた。
アルバニアやギリシャを経由してユーゴスラビア、さらにはオーストリアへと進むバルカン方面からの攻勢であれば、この危険な可能性を回避できたはずだ。同様に、イタリアから南東フランス、あるいはオーストリア南部やドイツ方面へ突破する案も選択肢となりえた。純粋にイタリアから攻める案には、半島北部へ向けて緩慢かつ多大な犠牲を払いながら進撃していた連合軍の戦力を分散させず、この戦役に終止符を打つ好機を与えるという利点もあると考えられた。
ルーズベルトとアイゼンハワーの判断
しかし、ルーズベルトもアイゼンハワーもそうは考えていなかった。二人は「オーヴァーロード」とその成功に完全に没頭しており、彼らの観点では、南フランスへの侵攻こそが勝利を保証する不可欠な要素だった。イタリア、バルカン、あるいはブルターニュ沿岸(「アンヴィル」反対派が提示したもう一つの代替案)での作戦よりも確実だからである。プロヴァンスに大規模な連合軍部隊が存在すれば、深水港へのアクセスが保障され、ノルマンディーの部隊が包囲された場合の迅速な救援も可能になり、敵戦力を二つの正面に分断することで「オーヴァーロード」へのドイツ軍の抵抗を弱める機会も得られる。
作戦名の変更と実行の決定
それでもチャーチルは納得せず、1944年末になってもなおアメリカ側に翻意を迫ろうとしていた。「オーヴァーロード作戦」は6月6日に開始されたが、「アンヴィル」は当初予定どおりには同行しなかった。一因は上陸用舟艇の不足だったが、主な理由は、ローマ近郊のアンツィオ橋頭堡で包囲されていた米第3師団および第45師団がドイツ軍の包囲網を破り、連合軍と合流するのを待たねばならなかったためである。
Dデー後、連合軍のノルマンディーにおける前進は鈍り、6月23日には予定を下回る状況に陥っていた。この遅れにより、アメリカ側は再び「アンヴィル」について強く主張するようになった。強力な同盟国との対立による膠着を避けたいチャーチルはついに折れ、自ら「退屈で実りのない事業」と呼んだ作戦への同意を余儀なくされたのである。
7月2日、地中海連合軍最高司令官サー・ヘンリー・メートランド・ウィルソン大将は、8月15日にプロヴァンスへ上陸せよとの命令を受けた。ノルマンディーを叩く「ハンマー(鉄槌)」に対する「金床」としての役割はもはや消え失せていた。作戦のコードネームは、チャーチルによって「ドラグーン」と変更されたのである。
作戦の布陣と指揮官たち
海上からの上陸作戦の大部分は、アレクサンダー・M・パッチ将軍指揮下の米第7軍所属の第3、第36、第45各師団が担い、フランス第2軍団が増援として加わった。航空作戦は空軍准将P・サヴィル(第12戦術航空軍司令官)が指揮し、海軍作戦は英国海軍のサー・ジョン・H・D・カニンガム提督の管轄下に置かれた。海軍機動部隊の直接指揮は米海軍のヘンリー・K・ヒューイット中将が執った。さらに、ジャン・ド・ラットル・ド・タシニ将軍率いるフランス第1軍の7個師団も作戦に参加することになっていた。
比較的容易だったプロヴァンス上陸
北アフリカ、シチリア、そしてイタリアでの過去の上陸作戦で経験した危険で悲劇的な出来事と比べれば、カヴァレールとアゲーの間、約55キロメートルの正面に計画されたこの作戦は、比較的単純なものに見えた。連合軍はこれまでの苦い教訓を十分に学んでおり、特に水陸両用作戦において航空兵力が果たす決定的な役割については、深く理解していたのである。