降下猟兵とは
降下猟兵(Fallschirmjäger、ファルシルムイェーガー)は、軍用空挺部隊を指すドイツ語で、単数形・複数形ともに同じ形を用います。「Fallschirm(ファルシルム)」は「落下傘」、「Jäger(イェーガー)」は「狩人」、転じて「軽歩兵部隊」を意味する言葉です。
第二次世界大戦と降下猟兵の誕生
第二次世界大戦中、ドイツは軍用落下傘部隊の創設に本格的に着手しました。イギリス陸軍やアメリカ陸軍の空挺部隊とは異なり、これらの部隊は国防軍(陸軍)ではなく、空軍(ルフトヴァッフェ)の指揮下に置かれていた点が大きな特徴です。
1940年には、ノルウェー上空で複数回の降下作戦が実施されました。
そして1941年5月22日、クルト・シュトゥデント将軍の指揮下にある降下猟兵部隊は、クレタ島の戦いにおいて、史上初となる空挺侵攻の成功を収めたのです。
その後も彼らは1943年のモンテ・カッシーノの戦い、さらには1944年のノルマンディーの戦いにおけるカランタン防衛戦など、各地の激戦に参加し、その精強さを発揮しました。
しかしその代償は決して小さなものではありませんでした。54,449名を超える降下猟兵が戦死し、さらに約8,000名が今なお行方不明のままとなっています。
装備
エリート部隊として知られた降下猟兵には、幅広い装備の選択肢が与えられていました。彼らは無反動砲を実戦で初めて使用した部隊であり、自動小銃FG42や、制式鉄兜「シュタールヘルム」を基に設計されたM1935ヘルメットは、降下猟兵のために特別に開発されたものでした。また、独自の迷彩服も身につけていました。
一方で、その落下傘は連合軍のものに比べると性能面で劣っていました。一本吊り(単一懸垂帯)の構造だったため、着地の際には手と膝をつく特殊な姿勢をとる必要があり、その結果、重火器などを安全に携行したまま降下することが困難でした。このため、装備品の多くは専用のコンテナに収めて別途投下されましたが、それらが戦場に散在してしまい、回収に苦労することも少なくなかったといいます。