
ポワティエの戦いは、732年(一説には733年)にフランク王国の宮宰カール・マルテルが、イベリア半島から進軍してきたイスラム勢力を撃退した戦いとして知られています。この勝利は、西欧史における重要な転換点の一つとされ、「トゥールの戦い」と呼ばれることもあります。
戦いに至る背景
当時、イスラム勢力は総督アブドゥル・ラフマーン・イブン・アブドゥッラーの指揮のもと、ピレネー山脈を越えてガリア南部へ侵攻し、各地を蹂躙していました。この脅威に対抗できなかったアキテーヌ公ウード(オド)は、単独での防衛を断念し、フランク王国の実権を握る宮宰カール・マルテルに援軍を懇願せざるを得なくなりました。
一方、イスラム軍はポワティエ近郊のサンティレール教会を焼き払った後、サン・マルタン大修道院という豊かな財宝で知られるトゥールへの攻略を目指して北上を続けていました。
両軍の衝突
トゥールへ向かう途中、イスラム軍はポワティエ付近でカール・マルテル率いるフランク軍と遭遇しました。カール・マルテルは歩兵を中心とした堅固な陣形を敷き、イスラム騎兵の幾度にもわたる突撃をことごとく跳ね返しました。激戦の中で指揮官アブドゥル・ラフマーンは戦死し、統率を失ったイスラム軍は撤退を余儀なくされます。
結果と影響
敗れたイスラム軍(サラセン軍)は、大きな追撃を受けることなくアキテーヌから撤収しましたが、これにより西方における彼らの攻勢は事実上打ち砕かれました。
この華々しい勝利は、カール・マルテルの威信と権威を飛躍的に高めることとなりました。それまで何とか服従させようとしても叶わなかったアキテーヌ公ウードも、もはや彼に従わざるを得なくなり、カール・マルテルのフランク王国における支配的地位は盤石なものとなりました。この戦いは、後のカロリング朝興隆への道を開く出来事とも評価されています。