ザンギー(イマードゥッディーン・ザンギー、1084年頃 – 1146年)は、セルジューク朝に仕えたテュルク系の武将であり、ザンギー朝の創始者として知られる人物です。ムスルとアレッポのアタベク(守護君主)としてシリアとメソポタミアに強大な勢力を築き、十字軍国家エデッサ伯国を滅ぼした功績により、イスラーム世界の英雄として名を残しました。
出自と初期の経歴
ザンギーはテュルク系の武将(隊長)の息子として生まれました。幼少期に父を亡くした後、セルジューク朝の宮廷で育ち、優れた軍事的才能を発揮します。1122年頃にイラク方面の総督に任じられて頭角を現すと、1127年にはムスルのアタベク、翌1128年にはアレッポを手中に収め、シリア・メソポタミア両地域にまたがる支配権を確立しました。
シリア・メソポタミアの覇者へ
シリアに拠点を構えたザンギーは、ホムスやハマーといった内陸部の要衝を次々と攻略し、勢力を拡大していきます。以後、彼は十字軍国家をはじめとするキリスト教徒勢力との戦いを指揮する一方で、ダマスクスの帰属をめぐってセルジューク朝や周辺の勢力とも激しい抗争を繰り広げました。
最大の功績:エデッサの攻略
1144年、ザンギーはその生涯における最大の成功を収めます。フランク人(十字軍側)が建国した最初の十字軍国家であるエデッサ伯国の要塞都市エデッサを攻略したのです。これは第一次十字軍(1096年)以来、十字軍勢力から奪還された初の主要都市であり、イスラーム世界に大きな歓喜をもたらしました。同時にこの事件は、ヨーロッパでの第2回十字軍(1147年–1149年)遠征の直接的な引き金ともなりました。
最期
しかし栄光の頂点にあったわずか2年後の1146年、ザンギーは自身の奴隷(フランク人出身の従者と伝えられる)の手によって暗殺され、非業の死を遂げました。
後継者への影響
ザンギーの死後、その領土は息子たちに分割されました。息子の一人ヌールッディーン(ヌール・エッド・ディン)はアレッポを継承し、父の遺志を受け継いで十字軍との戦いを推進。やがてエジプトまで勢力を広げ、サラーフッディーン(サラディン)を輩出する基盤を築きました。この意味で、ザンギーの功績は後のイスラーム勢力による反撃の礎となったと言えるでしょう。