開戦の経緯
1941年12月7日、日本軍はハワイの真珠湾にあったアメリカ海軍基地を航空機による奇襲攻撃で急襲した。これを受け、アメリカは12月8日に日本へ、続いて12月11日にはドイツへ宣戦布告した。
領土拡張(自国の版図を国境の外へ広げようとする動き)を推し進めていた日本は、「太平洋戦争」の序盤において太平洋各地で圧倒的な優位に立っていた。イギリス軍やアメリカ軍が後退を余儀なくされる中、山本五十六連合艦隊司令長官率いる大日本帝国海軍は、1942年6月にミッドウェー島への攻勢を決断する。しかしこのミッドウェー海戦でアメリカ軍は日本艦隊の大部分を撃破し、決定的な勝利を収めた。ここから連合軍による太平洋諸島の奪還作戦が本格的に始まるのである。
1942年〜1943年
主な登場人物
- 昭和天皇(裕仁)
- フランクリン・D・ルーズベルト(アメリカ大統領)
- 山本五十六(連合艦隊司令長官)
戦いの経過
ソロモン諸島に位置するガダルカナル島は、その大部分が原生林に覆われた島である。1942年7月、アメリカ軍は日本軍が同島で飛行場の建設を進めていることを察知した。
飛行場を奪取するため、上陸作戦が決行されることになった。8月7日の朝、アメリカ軍は艦隊の支援のもと6,000人を超える兵士を上陸させた。数で劣る日本軍に対する奇襲の効果もあり、アメリカ軍はたちまち飛行場を確保することに成功する。以降、兵士たちは飛行場の完成を急ぎ、航空機による増援を受け入れる態勢を整えていった。
ガダルカナル島の戦いは1943年2月まで続いた。日本軍は島の支配権を取り戻そうと執拗に抵抗し、累計36,000人の兵力を同島へ送り込んだ。一方のアメリカ軍は44,000人を投入したが、ジャングル内での戦闘と過酷な気候に悩まされ、苦戦を強いられた。
また、この戦いは海上でも繰り広げられた。度重なる海戦では双方に甚大な損害が出たものの、戦況は次第にアメリカ側へ傾いていく。制海権を失い補給の維持が不可能となった日本軍は、1943年2月についに島からの撤退を決断した。
結果と影響
- 人的損害は甚大であった。日本軍の戦死者は約24,000人に上り、アメリカ軍の死者も1,500人を数えた。アメリカ軍の犠牲者の中には、熱帯病で命を落とした者も少なくなかった。
- ガダルカナル島の戦いは、アメリカ軍による太平洋諸島奪還の幕開けとなった。ミッドウェー海戦が防衛的な勝利であったのに対し、ガダルカナルにおいてアメリカ軍は、日本軍に対する自らの軍事的優位を実証してみせたのである。
- この戦いは、第二次世界大戦全体における大きな転換点の一部でもある。1942年11月にはイギリス軍がエル・アラメインの戦いでドイツ軍を破り、1943年2月にはソ連軍がスターリングラードの戦いに勝利した。連合軍はすべての戦線で決定的な勝利を収めつつあったのだ。