古代の歴史

マリニャーノの戦い――フランソワ1世が「無敵」のスイス傭兵を打ち破った1515年の決戦

戦役の背景

フランス王国は古くからイタリア諸国への野心を抱えてきました。ミラノ公爵夫人ヴァレンティーナ・ヴィスコンティの孫にあたるフランス王ルイ12世は、自らの血統を根拠として、1499年のミラノ公国併合、さらには1501年のナポリ征服を正当化しました。

こうしたフランスの拡張に対抗し、教皇ユリウス2世はフランスとの同盟を破棄し、1511年に神聖同盟(スペイン・神聖ローマ帝国・イングランド・ヴェネツィア)を結成して、ルイ12世をイタリアから駆逐しようと図りました。そしてルイ12世が死去すると、20歳の若さで即位した新王フランソワ1世は同盟諸国に歓迎されます。しかし彼が義父ルイ12世のイタリア政策をそのまま受け継いでいたことを見誤っていたのです。

マリニャーノの戦い――フランソワ1世が「無敵」のスイス傭兵を打ち破った1515年の決戦

日付:1515年9月13日~14日
場所:ミラノ近郊のマリニャーノ(現イタリア北部)
結果:フランス=ヴェネツィア連合軍の勝利

主な登場人物

  • フランソワ1世(フランス国王)
  • シャルル4世(アランソン公)
  • バルトロメオ・ダルヴィアーノ(ヴェネツィア軍指揮官)
  • ジャック・ド・ジュヌイヤック(通称アルマニャック総督)
  • ピエール・ド・テライユ(バイヤール領主、通称「無敵の騎士」シュヴァリエ・バイヤール)
  • シャルル3世(ブルボン公)
  • 神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(ハプスブルク家)
  • ルイ2世・ド・ラ・トレモイユ
  • ジャック・ド・シャバンヌ(ラ・パリス侯)
  • 教皇レオ10世
  • マティアス・シーナー(シオン枢機卿)
  • マッシミリアーノ・スフォルツァ(ミラノ公)

戦闘の経過

若きフランソワ1世は果敢にもアルプス山脈をアルジャンティエール峠経由で越えました。通常なら大砲が通行できない難所でしたが、火薬を用いた発破作業によって通路を切り開いたのです。

フランス王の突然の来襲は、ミラノ公マッシミリアーノ・スフォルツァの同盟者たち――神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世、神聖ローマ帝国に雇われた傭兵であるスイス同盟軍、それを支援するシオン枢機卿、そして教皇レオ10世――を驚愕させました。

実はフランソワ1世は戦闘を避けて交渉による解決も視野に入れており、スイス槍兵隊に報酬を支払って撤退させる工作まで進めていました。ところが9月13日の早朝、同盟軍の一方的な攻撃によって戦端が開かれます。戦場となったのはポー平原に広がるマリニャーノの地でした。

フランス軍は約3万~4万人で、バイヤール、ラ・パリス侯、アルマニャック総督、ラ・トレモイユ、ブルボン公シャルル3世、アランソン公ら勇将を擁し、半数はドイツ人を中心とする傭兵「ランツクネヒト」で構成されていました。対するスイス軍は約2万人。「無敵」の名声をほしいままにしていた精鋭です。

初日は両軍入り乱れ、まさに大混乱の様相を呈しました。しかし2日目、ヴェネツィアの名将バルトロメオ・ダルヴィアーノ率いる援軍が到着すると、形勢は一気に若きフランス王へと傾きます。フランス軍は2日間にわたり砲撃を集中的に運用し、「無敵」と謳われたスイス同盟軍を翻弄しました。スイス軍は約8,000人の犠牲を出して敗走したのです。

戦いがもたらしたもの

マリニャーノでの勝利は、1516年のボローニャ協約調印へとつながりました。これによりフランソワ1世は「教会の長子」の称号を得て、フランス国内における高位聖職者の任命権など、ローマ教会に対するフランス王権の優位性が認められました。

また同年、スイスはフリブール恒久平和条約を締結し、ミラノ公国への請求を放棄するとともに、今後フランスと交戦しないことを約束しました。

軍事的な観点でも、この戦いは砲兵の組織的かつ持続的な運用という新戦術を実証し、戦争のあり方を近代へと転換させた画期的な出来事でした。

フランソワ1世にとって、これは即位後初めての決定的勝利であり、王に燦然たる栄光の輪を与えるものでした。伝説によれば、あの名高き騎士バイヤール自身の手によって、マリニャーノの地でフランソワ1世はナイトに叙任されたといいます。ただしこの逸話は、10年後(1525年)のパヴィアの戦いにおけるフランス軍の敗北と国王捕虜という屈辱を覆い隠すために、後年創作されたものだとされています。

いずれにしても、マリニャーノの戦いはフランスに国際社会における政治的地位をもたらし、フランス王によるロンバルディア支配の正当性を確固たるものにしたのです。