ヨーロッパにおける枢軸国の衰退
ヨーロッパ戦線では、枢軸国は西のフランス戦線、東のソ連戦線、そして南のイタリア戦線(ムッソリーニ政権崩壊後)という三方面からの連合軍の攻勢を受け、着実に追い詰められていきました。
敗北を予感していた総統アドルフ・ヒトラーは、1945年4月30日についに自ら命を絶ち、ライヒ(ドイツ)の運命を後継者に託しました。しかし、すでに戦争の帰趨は決しており、ドイツの諸都市は連日の空襲によって破壊され続けていました。後を継いだカール・デーニッツ海軍元帥には、連合国との交渉に応じる以外に選択肢は残されていなかったのです。
降伏の日付:1945年5月8日
主要人物
- アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)
- カール・デーニッツ(Karl Dönitz)
- ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)
- ドワイト・アイゼンハワー(Dwight Eisenhower)
降伏までの経緯
デーニッツ提督の主導のもと、ドイツは戦争終結への道を模索することになりました。ドイツ軍の降伏文書は、まず1945年5月7日にフランスのランス(Reims)で調印されます。しかしそれに対し、スターリンは「降伏は、ソ連が支配しドイツの首都でもあるベルリンでも調印されるべきだ」と強く主張しました。
こうして5月8日夜から9日未明にかけて、ベルリンにてドイツのヴィルヘルム・カイテル元帥およびハンス=ゲオルク・フォン・フリーデブルク提督が降伏文書に署名し、ヨーロッパにおける戦闘は正式に終結したのです。
なお、同じ1945年5月8日には、フランス領アルジェリアのセティフおよびグエルマの両都市でも悲劇が起こっています。暴動の発生を受けてフランス治安部隊が民族主義者への弾圧を行い、多数の犠牲者が出たのです。
降伏がもたらした影響
- ヨーロッパの戦争は、連合国の勝利とナチス・ドイツの崩壊をもって幕を下ろしました。
- ただし、ドイツの降伏は第二次世界大戦全体の終結を意味するわけではありません。日本は1945年9月2日まで降伏せず、戦争はアジア・太平洋地域で継続していました。
- アルジェリアにとって、セティフとグエルマでの出来事は集合的記憶として深く刻まれ、約10年後に勃発するアルジェリア戦争の引き金となったと指摘されています。