第二次世界大戦の終結とともに、世界は二つの対立する陣営に分かれた。アメリカ合衆国とソビエト連邦(USSR)は「冷戦」と呼ばれる緊張状態に突入し、この対立は20世紀後半を通じて、1991年のソ連崩壊まで続くことになる。
対象期間: 1949年〜1955年
主要人物: ヨシフ・スターリン(ソ連)、ハリー・トルーマン(アメリカ)
経緯
北大西洋条約機構(NATO)の誕生
1940年代後半、ベルリン封鎖などをきっかけに東西間の緊張が急速に高まると、西側諸国は集団防衛体制の構築に向けて協議を開始した。この動きの発端となったのはヨーロッパ諸国であり、大陸に迫るソ連赤軍の脅威への危機感が背景にあった。1年以上に及ぶ交渉の末、1949年4月4日、12カ国が北大西洋条約(通称NATO)に調印した。
朝鮮戦争がもたらした転換点
1950年6月に勃発した朝鮮戦争は、両陣営間の緊張を一層激化させた。西側諸国は、この戦争をソ連による陽動作戦、すなわちヨーロッパ攻撃への前兆と受け止めた。その外交的・軍事的影響はほぼ即座に現れた。
当初の北大西洋条約は、各国が自国軍を保持する従来型の連合体であったが、ここから新たな運用形態へと移行することになる。1951年、北大西洋条約機構(NATO)が正式に稼働し、今回は恒久的な軍事・政治構造が整備された。
- 文民部門: 事務総局と、全加盟国を代表する理事会で構成される。
- 軍事部門: 大西洋方面と欧州方面の2つの最高司令部を擁する。
こうして西側は、ソ連に対抗する統一的な軍事組織を確立したのである。
ワルシャワ条約機構の結成
西側陣営の組織化に対して、ソ連は迅速に対応した。そもそも北大西洋条約調印の際、ソ連側はその同盟の攻撃的性質を非難していた。NATO創設への対抗措置として、ソ連主導のもと1955年5月14日、ワルシャワ条約機構が発足した。
これはソ連と東欧の人民民主主義諸国(アルバニア、ブルガリア、ハンガリー、ポーランド、東ドイツ、ルーマニア、チェコスロバキア)との間で結ばれた軍事同盟であり、ヨーロッパの国境線上により均質な戦力を展開することを目的としていた。NATOと同様、統一司令部の原則が採用された。
影響
- NATOの創設により、約30万人のアメリカ兵がヨーロッパに駐留することになった。彼らは加盟各国の基地に配置され、NATOの運用体制に基づいてアメリカの優位性が確立された。すなわち、欧州における最高司令官にはアメリカ将軍が就任し、アメリカ大統領が任命する仕組みである。
- ワルシャワ条約機構は、ハンガリー(1956年)やチェコスロバキア(1968年)において、共産主義体制からの解放を求める民衆の動きを武力で鎮圧した。同機構は1991年7月1日に解散し、それはソ連崩壊のわずか5か月前のことであった。
- NATOはソ連消滅後も存続し、冷戦終結後もボスニア紛争(1996年)やアフガニスタンでの作戦(2009年)など、さまざまな紛争に関与してきた。