欧州統合への道のり
- 1948年:西欧諸国の代表たちがオランダのハーグで会議(ハーグ会議)を開き、「欧州合衆国」を実現するための法的枠組みについて議論した。
- 1949年:ハーグ会議の成果を受けて、西欧諸国における人権の尊重を保障することを目的とした「欧州評議会」が創設された。
- 1950年5月9日:フランス外相ロベール・シューマンが、歴史に残る有名な演説(シューマン宣言)の中で、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の構想を提唱した。これは第二次世界大戦の終結からわずか5年後のことであり、フランスとドイツ連邦共和国(西ドイツ)との和解の第一歩となった。西欧各国の間に共通の経済的利益を確立することで、ヨーロッパを再び引き裂く新たな戦争を「考えられないだけでなく、物質的にも不可能」にすることを目指すものであった。
1951年4月18日

主要人物
ロベール・シューマン
ロベール・シューマン(1886年~1963年)は、フランスの政治家であり、当時外務大臣を務めていた。後に「ヨーロッパの父」と称され、欧州統合の思想的・政治的基盤を築いた中心人物である。
成立の経緯
1950年5月9日にロベール・シューマンが行った提唱演説を受け、西欧各国の代表たちは、この「ヨーロッパの父」が掲げた経済協力の構想を実現すべく協力を重ねていった。そしてその1年後、1951年4月18日、各国代表はパリに集まり協定を正式に取りまとめた(パリ条約)。こうして欧州石炭鉄鋼共同体が誕生し、超国家的な原則に基づく世界初の国際機関と位置づけられている。
具体的には、この西欧諸国(フランス、ベネルクス3国、西ドイツ、イタリア)による共同体は、石炭と鉄鋼の単一市場を創設した。加盟国は関税を支払うことなく、共同体の他の加盟国との間でこれらの資源を自由に売買できるようになり、結果として欧州パートナー間の取引は飛躍的に拡大した。石炭と鉄鋼は戦争経済を支える二大基幹資源であるため、この仕組みは、まず何よりも西ドイツとフランスの関係において、署名国間に恒久的な平和をもたらすことを目的としていた。一方、東欧は当時、共産主義政権を擁立したソ連の影響下にあったため、この共同市場には参加していない。
その後への影響
- 1957年3月25日:ECSC設立から6年後、6つの原加盟国によってローマ条約が調印され、欧州経済共同体(EEC)および欧州原子力共同体(EAEC、通称ユーラトム)が創設された。
- 1985年:欧州理事会は、EUの礎となる文書とされる1950年5月9日のシューマン宣言を記念し、毎年5月9日を「ヨーロッパ・デー」と定めた。
- 2002年:50年の時限性を持って締結されていたECSC条約が失効し、その役割は欧州連合(EU)へと受け継がれた。