古代の歴史

中世ヨーロッパの農民女性の日常 ― 男たちの影で労働を支えた人々

中世ヨーロッパの農民女性の日常 ― 男たちの影で労働を支えた人々

ベリー公のいとも豪華な時祷書より。この細密画は6月の農作業の情景を描く。労働は男性と女性の双方によって担われた。14世紀。シャンティイ、コンデ美術館蔵 • WIKIMEDIA COMMONS

15世紀末のイングランドのバラッドに、どちらがより多く働いているかをめぐって言い争う農民の夫婦が描かれている。夫は「自分は一日中土地を耕している」とだけ主張する。それに対して妻は、自らが担う仕事を次々と列挙する――牛の乳搾り、バターとチーズ作り、鶏の飼育、パン焼き、ビールの醸造、リネンと羊毛の加工、衣類の修繕、家事全般、子どもの世話、そして夫が起きる前に済ませてしまう家の掃除。

ところが、これほど多岐にわたる活動と重い負担を背負いながら、歴史に足跡を残したのは往々にして男性の農民たちだった。畑に深い溝を刻んだのは、彼らの鋤だったからである。

性別による二分法と女性の従属

実際、最も目につきやすく報酬の高い活動を担うのは男性であり、「火の長」(chef de feu、すなわち世帯主)として家業の収入を受け取るのも彼らである。同じだけ働いても、女性の賃金は男性の4分の3、場合によっては半分にとどまった。女性は肉体的に弱く技能も低いとみなされ、労働時間が短いうえ、家事に縛られて有償の労働に専念できない、と考えられていたためだ。

12世紀初頭、リムリック司教ギルバートは、中世社会を「祈る者、働く者、戦う者」に三分する有名な枠組みを引きながら、この性別の二分法と女性の従属を見事に要約している。「女性の務めが祈ること、耕すこと、戦うことにある、と言うのではない。だが彼女たちは、祈り、耕し、戦う者たちの妻となり、彼らに仕えるのだ」

しかしながら、当時の図像や文献が示す限り、農業労働の大半は男女混合で行われていた。とりわけ数週間に集中する重労働では、男女を問わず老若すべての共同体員が動員される必要があった。7月と8月の収穫、9月と10月のブドウ摘み、麦束の積み付け、羊の毛刈り、6月の干し草作り、12月の豚の屠殺、大型家畜の放牧などがその例である。だが、こうした男女混在の実態は、仕事の性別分担とヒエラルキーの存在を妨げてはいなかった。

男女が並んで働く姿が描かれるとき、道具を握っているのは必ず男性である。

収穫期には、女性や子どもがブドウを摘み、男性は籠を荷車まで運び、踏み潰し、仕込み樽への移し替え、そして何より圧搾を担当する。男女が協働して描かれる場面でも、道具を持つのは常に男性の側だ。仮に女性が道具を手にするとしても、それはより単純なものである。唯一の例外が収穫で、ここでは小型の鎌を男女がともに使うことが多い。

図像の中で女性の所作は常に控えめで、道具がほとんど視界に入らないほどだ。対照的に男性は、鎌を高々と振り上げ、大きく振り下ろそうとする瞬間を捉えられることが多い。薪割りをするのは男性、薪束をまとめるのは女性。男性が鎌を手にブドウの剪定を行えば、女性は地面に散った蔓を拾い集めて束ね、燃料とするか、支柱への誘引(アコラージュ)に励む。小型の鎌の扱いに、並外れた体力は必要ないはずなのに、である。

道具を通じた男性優位は、豚の屠殺にも如実に表れる。一年分の食料が懸かるこの重要な行事では、動物の頭部を打ち砕く大槌も、喉を掻き切るナイフも、常に男性の手にある。女性はあくまで補助役として、噴き出す血を受ける容器を捧げ持ち、棒でかき回して凝固を防ぐ。

続いて男性は、鉤に吊るされた豚を解体する。一方の女性は道具を一切使わず、大きな木桶で内臓を洗い、清めたモツを小ぶりの容器へ移す。屠殺後の数時間から数日、女性たちは台所にこもり、腸の処理に追われ、ブラッドソーセージやソーセージ、頭肉の煮凝り作りに勤しむのである。

不可欠な助力、されど二番手

図像に描かれた農村女性の労働は、家内労働と生産労働の間の連続性によって特徴づけられる。家を守るように厩舎を手入れし、人と家畜の食事を同時に炊き上げる。糸巻棒を手にする姿、牛の乳を搾る姿、バターを練る姿で描かれることも少なくない。

一方、土に直接触れる作業は男性の独占領域だった。掘り、耕し、鋤を入れ、種を蒔き、そして脱穀と風選まで。

とはいえ、現実は違っていた。ジャンヌ・ダルクの裁判では、代父の一人が「幼い頃から父の家を出るまで、彼女は鋤を操り、ときには野良で家畜の番をしていた」と証言している。別の証人も「父とともに土地を耕していた」と述べる。1456年には、彼女の友人たちが、親族に付き添って収穫に参加し、鋤を押す手助けをし、馬鍬を引いたと回想している。

1460年から1475年頃の装飾写本――14世紀初頭のラテン語論文『田園の利益についての書』のフランス語訳を載せたもの――は、こうした言説を如実に体現している。12個の円形画(メダリオン)が各月を一人または複数の人物で象徴するが、女性は決して一人では描かれず、登場するのは12枚中わずか3枚だけだ。互いの労働が農民家族の存続に不可欠であるにもかかわらず、である。

こうした表現を丁寧に読み解けば、男女それぞれの所作や用いられた道具から、各性別に割り当てられた役割を読み取ることができる。この図像学が映し出しているのは、農村の営みそのものというより、ジェンダー不平等という社会的構築の姿なのである。

さらに知るために

G. デュビー、M. ペロー、C. クラピッシュ=ズーバー著『西洋の女性の歴史 II 中世』ペラン社(コレクション・タンプス)、2002年

都市の女性たち――刺繍、織物、紡績

14世紀末の北イングランドの諸都市では、14歳以上の女性人口の20〜30%が使用人として働いていたと推定されている。結婚までの数年だけ奉公する女性もいれば、自らの選択や、充分な持参金を積めない貧しさゆえに、生涯独身で使用人として生きる女性もいた。夫に先立たれた後、再び奉公に出るケースもあった。

繊維産業において、男性の多くが織工や縮絨工だったのに対し、数多く従事した女性たちは、主に従属的・依存的な工程、あるいは器用さと精密さが求められる仕事――紡績、裁縫、刺繍、絹や金糸の細工、洋服地や小間物、古着商――を担った。15世紀のヴェネツィアでは、絹糸の整経部門が完全に女性の手で運営されていた。彼女たちは生産の中間段階に組み込まれ、そこそこの利益を得ていたものの、毛織物、織物、大規模な絹取引といった高利益の商売では、その数はぐっと減っていた。