古代の歴史

ウラジーミル・プーチンとは?生涯・経歴・政治手法を徹底解説

ウラジーミル・プーチン(1952年~)は、ロシアの法律家・政治家であり、2012年からロシア連邦大統領を務めています。

旧ソ連の秘密情報機関KGBの職員出身で、ソ連崩壊後は政治家へと転身。まず故郷サンクトペテルブルクで頭角を現し、やがてボリス・エリツィン前大統領の信任を得て中央政界へと進出しました。

プーチンの経歴

ウラジーミル・プーチンは1952年10月7日、当時「レニングラード」と呼ばれていたサンクトペテルブルクに生まれました。市名は共産主義の指導者レーニンにちなんだものでした。

ごく平凡な家庭に育ちました。父親は赤軍(ソ連軍)に従軍した経験を持ち、母親は第二次世界大戦中のレニングラード包囲戦を生き延びています。

プーチンは1975年にレニングラード国立大学で法律を学び、卒業後はKGBに入るための養成課程を受けました。当初は故郷で勤務しましたが、昇進と研修を重ね、1985年には中佐としてドイツ(当時の東ドイツ)のドレスデンに赴任します。

その2年前の1983年、リュドミラ・シュクレブネワと結婚。夫妻はマリヤとカテリーナという2人の娘をもうけましたが、2013年に離婚しています。

政治家としてのキャリア

ドイツ再統一が実現すると、同国内のKGB組織は解体されました。帰国したプーチンはサンクトペテルブルクへ戻り、レニングラード大学学長アナトリー・ソブチャクの庇護を受けることになります。

ソブチャクとともに地方政治の世界へ足を踏み入れ、まずはソブチャクの市長選当選に貢献。しかしソブチャクが再選に失敗すると、プーチンはモスクワへ移り、大統領府副長官に任命されます。

こうした中でプーチンは、ロシア初代大統領ボリス・エリツィン(1931~2007年)の信頼を獲得していきます。経済危機に加え、アルコール依存症や健康問題を抱えたエリツィンは次第に孤立しており、後継者問題が急務となっていました。

エリツィンはプーチンを秘密情報機関(FSB)の長官に据え、のちに首相へと抜擢します。ロシアでは憲法上、大統領が職務を遂行できなくなった場合、首相が大統領代行を務める仕組みになっている点が重要です。

そして1999年12月31日、エリツィンが辞任すると、プーチンが大統領代行に就任。2000年3月に行われた大統領選挙では与党「統一ロシア」の候補として当選し、正式にロシア大統領となりました。

プーチンは近年のロシア経済成長の立役者となり、ソ連時代にあった地政学的な影響力をも回復させました。一方で、ウクライナ侵攻とクリミア併合、市民の権利への軽視、西側諸国の政治への干渉疑惑などは、欧米諸国からの強い批判の的となっています。

プーチン政権の歩み

2000年のロシアは国際舞台においてさほど重要な存在ではありませんでしたが、2018年には欠かせないアクターへと変貌を遂げていました。この18年間、ロシア政府の頂点に立ち続けたのがウラジーミル・プーチンです。

プーチンは2000年に初当選し、2008年まで権力の座に留まりました。ロシアの法律では大統領の連続再選が制限されていたため、盟友ドミートリー・メドベージェフの2008年大統領選当選を支援し、自身は首相に就任します。

2012年には再び大統領選に勝利して返り咲き、2018年の大統領選でも76%もの得票率で再選を果たしました。

リーダーとしてのスタイル

プーチンは選挙運動の中で、「スポーツマン」「ハンター」「庶民的な男」というイメージを打ち出しました。狩猟やスポーツに興じる姿の写真は世界中に広まり、その生活ぶりを揶揄するジョークやインターネット・ミームの格好の題材にもなっています。

ウラジーミル・プーチンとは?生涯・経歴・政治手法を徹底解説

また、保守層の支持を取り込むため、ロシア正教会の指導者たちとの関係を深めました。本人も敬虔な正教徒であることを隠さず公言しています。

経済政策

ロシアの威信を取り戻すためには、西側諸国に対する圧力手段を確保するとともに、国家財政を立て直す必要がありました。

この2つの目標を実現する鍵となったのが、ロシア国内に豊富に埋蔵される石油と天然ガスです。当時、ヨーロッパが消費するガスの約30%はロシア産でした。

そこで初期の主要施策として、1990年代に民営化された石油会社の国有化を断行。さらに原油価格の高騰による恩恵を直接受け、国家予算の均衡を達成しました。

そして新たな貿易協定によって得たエネルギー産業の利益を原資に、軍事費を5倍に増額し、ロシア軍の威信回復を図りました。

外交関係

旧ソ連構成共和国は、西側諸国との関係強化を目指そうとすると、依然としてロシアの圧力を意識せざるを得ません。

実際、2008年にはNATOへの接近を図っていたジョージア(グルジア)に侵攻しました。

2014年にはEU加盟を志向したウクライナに介入。目的は天然ガス資源が豊富なクリミア半島の併合であり、それによってヨーロッパ向けエネルギー供給への影響力を確保することにありました。

当時、欧州とロシアの間で武力紛争が勃発することを懸念する声も多くありましたが、ドイツのメルケル首相の仲介により事態は収拾に向かいました。

しかしこの軍事行動の結果、ロシアは国際的な経済制裁・政治的制裁を受け、G7(主要7カ国)からも排除されることとなりました。

シリア内戦への介入

プーチンはシリア内戦に、米国と対立する立場からシリアのバッシャール・アサド大統領を支援する形で参入しました。

ウラジーミル・プーチンとは?生涯・経歴・政治手法を徹底解説

支援内容は空爆、軍艦の派遣、反体制派や過激派組織と戦うシリア軍への兵力提供など多岐にわたります。

世界に自国の力を誇示するため、ロシアは国連での拒否権も積極的に行使しました。2000年から2016年までの間に、ロシアは国連で12件の決議案を拒否しており、これは米国の11件を上回る数字です。

プーチンの名言

  • 「テロリズムに国籍も宗教もない」
  • 「50年前、レニングラードの街で私が学んだことが一つある。戦いが避けられないなら、先制攻撃を仕掛けるべきだということだ。だからこそ、こちらで待つのではなく、あちらで彼らと戦う方がよいのだ」
  • 「核兵器を使用しようと決める狂人がこの地球上にいないと信じたい」
  • 「ロシアを恐れる必要はないことを伝えておきたい。世界は大きく変わり、現実的な人間なら今日、大規模な軍事紛争など想像できないはずだ。私たちには他にやるべきことがたくさんあるのだから」

プーチンに関する豆知識

  • 2013年9月、プーチンは同性婚を合法化した欧州諸国の例にロシアが倣うべきではないと述べました。
  • 彼の資産は約460億ユーロと推定されています。
  • 身長は167cmで、ビートルズのファン。お気に入りの曲は「Yesterday」です。
  • スターリン以降、ウラジーミル・プーチンはロシア史上最も長く権力の座にある指導者です。

関連記事

  • ソビエト連邦(USSR)
  • 独立国家共同体(CIS)
  • 正教会