古代の歴史

パナマ運河地帯(キャナルゾーン)とは?米国統治時代の歴史と概要

パナマ運河地帯(キャナルゾーン)の概要

パナマ運河地帯はキャナルゾーンとも呼ばれ、パナマに存在した歴史的な行政区域です。1903年から1979年までの間、アメリカ合衆国がこの地域の管轄権を行使していました。

運河地帯は、大西洋から太平洋へと至るパナマ運河沿いに幅約16kmの帯状に広がり、パナマ地峡を東西に分断する形で位置していました。総面積は1,432平方キロメートルにおよび、その約3分の1は水域で、その大部分を占めていたのがガトゥン湖です。

運河地帯には、太平洋側のバルボア地区と大西洋側のクリストバル地区という2つの行政区画が設けられていました。行政の中心地はバルボア・ハイツに置かれ、ここには運河地帯政府とパナマ運河会社の双方の庁舎が存在しました。

設立の経緯と行政体制

運河地帯は、1903年に締結されたヘイ=ブノー=ヴァリヤ条約に基づき、1904年5月4日(「取得の日」と呼ばれる)に正式に発足しました。この条約により、パナマはアメリカに対して、運河の使用ならびに運営・管理のために、運河の両側それぞれ約8kmの土地を独占的に提供することとなりました。

パナマ運河の建設は1904年から1914年にかけて行われました。1951年の組織再編では、運河および隣接土地の管理が、密接な連携関係にある2つの米国機関に委ねられました。ひとつは運河そのものの運営を担当するパナマ運河会社、もうひとつは地域内の民政を担当する運河地帯政府です。

運河地帯の知事はアメリカ大統領により任命され、陸軍長官の監督下に置かれました。また、知事は慣例としてパナマ運河会社の社長兼理事を兼任する立場にありました。

廃止とパナマへの返還

運河地帯は、1977年に調印された米パ間の新条約(トルヒーヨ=カーター条約)に基づき、1979年10月1日に廃止され、地域の直接の民政支配はパナマへと返還されました。

その後は米国とパナマによる共同委員会が運河の運営を担い、1999年末をもってパナマが運河の完全な管理権を獲得しました。これにより、約96年におよぶ米国の関与の時代が幕を閉じることとなりました。