シュヴァルツブルクとは
シュヴァルツブルク(Schwarzburg)は、1918年までドイツに存在した主権国家の一つです。その起源は、中世のシュヴァルツブルク伯が統治していたテューリンゲン地方の領土にさかのぼります。
領土の分裂と二つの家系の成立
シュヴァルツブルク家の領土は、長い歴史の中で分割や再配分、統合を繰り返してきました。そして1584年、ついにシュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン家とシュヴァルツブルク=ルドルシュタット家という二つの系統が確立されます。
帝国諸侯への昇格と同盟への加盟
シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼンの伯は1697年に神聖ローマ帝国の侯(プリンツ)へ昇格し、続いてシュヴァルツブルク=ルドルシュタットの伯も1710年に侯の位を得ました。
両公国は主権国家として、1807年にライン同盟に加盟し、1815年にはドイツ連邦へと加わっています。
プロイセンとの結びつきとドイツ帝国へ
1866年の「七週間戦争」では、両公国ともプロイセン側を支持しました。この選択により、両国は北ドイツ連邦(1866年)、さらにはドイツ帝国(1871年)へと組み込まれていくことになります。
同君連合から共和制、そしてテューリンゲン州へ
1909年、子のないカール・ギュンター・フォン・ゾンダースハウゼン侯が死去すると、両公国はギュンター・ヴィクトール・フォン・ルドルシュタット侯による同君連合の下で統治されることになりました。
1918年のドイツ革命に伴い侯は退位し、両国は共和制国家へと移行します。その後、1920年に新たに成立したテューリンゲン州へ統合され、長い歴史を持つシュヴァルツブルクの物語は幕を閉じました。