古代の歴史

ヒッタイト王国――鉄の武器と戦車で覇権を築いた古代アナトリアの帝国

ヒッタイト人の起源

紀元前2000年頃、コーカサス地方から移動してきたインド・ヨーロッパ語族の一派であるヒッタイト人が、現在のトルコにあたるアナトリア半島に定住しました。彼らは先住の非インド・ヨーロッパ系民族であるハッティ人に取って代わり、この地の新たな支配者となったのです。

王を頂点とした政治体制

国家の頂点には王が君臨し、その下にはパンク(panku)と呼ばれる評議会に集う武人貴族たちが存在しました。王の権威と貴族たちの合議によって国政が運営される、当時としては特徴的な統治体制でした。

経済と「鉄」の独占技術

ヒッタイトの経済は農業と、地域の鉱物資源の開発を基盤としていました。この土地はとりわけ銀の産出に恵まれていました。
耕地は自由農民だけでなく、隷属的身分の奴隷たちによっても耕作されていました。

ヒッタイトという名は、巧みな製鉄技術と密接に結びついて歴史に刻まれています。彼らは鉄の加工法という秘密を長きにわたり守り抜き、それを自国の強さの源泉としたのです。

戦車と鉄の武器による領土拡大

アナトリアを本拠地とするヒッタイト人は、拡張への道を歩み始めました。家畜化された馬に牽引させる二輪のスポーク式戦車を実戦に投入し、さらに鉄製の武器を駆使することで、広大な支配圏を築き上げていきました。

また、彼らは当時としては極めて異例な政治的選択を行ったことでも知られています。征服した民族を奴隷化するのではなく、服従条約を結んで同盟者として取り込んだのです。この条約により、現地の君主たちはヒッタイト王への忠誠を誓うことが義務づけられました。

最盛期――バビロン略奪からカデシュの戦いへ

紀元前1595年、ヒッタイト軍は遠く離れた富饒な都市バビロンに到達し、これを略奪しました。

ヒッタイトの勢力が頂点に達したのは紀元前1350年頃のことです。シュッピルリウマの治世下で、シリア地方の大部分をカデシュまで支配下に収めました。その先には、新王国時代の王朝のもとで最大の拡張期を迎えていたエジプト勢力圏が広がっていました。

シリアの支配回復を目指すエジプトは、紀元前1275年、ファラオラムセス2世率いる大軍を送り出します。こうしてラムセス2世と、王ムワタリが指揮するヒッタイト軍が、まさしくカデシュの地で激突しました。古代史上名高いこの「カデシュの戦い」では、決定的な勝者も敗者も生まれなかったのです。

帝国の滅亡

紀元前1200年頃、フリュギア人がアナトリアへ侵攻すると、ヒッタイト人はもはや抵抗しきれなくなりました。首都ハットゥシャは破壊され、ここに栄華を誇ったヒッタイト帝国は崩壊したのです。