古代の歴史

宇宙開発競争(スペースレース)とは?米ソ冷戦下の技術開発競争を徹底解説

1957年に始まった宇宙開発競争(スペースレース)は、地球軌道の制覇をめぐってソビエト連邦とアメリカ合衆国が繰り広げた技術開発競争でした。

その目的は、史上初の有人宇宙船を軌道上に建造し、月面への到達を実現するための技術を開発することにありました。

宇宙開発競争と冷戦の関係

第二次世界大戦の終結とともに、アメリカとソ連は同盟関係を解消し、世界における政治的・経済的な影響力をめぐって対立するようになりました。

両国は周辺地域で間接的に衝突する一方、文化、スポーツ、科学技術といった分野でも競い合うようになりました。しかし、直接的な軍事衝突には至らなかったことから、この時代は「冷戦」と呼ばれています。

この対立の最も象徴的な側面の一つこそが宇宙開発競争でした。これは、地球の軌道上を飛行できる宇宙船の開発、さらにはより深く宇宙へ進出することを目指す事業でした。同時に、敵国のミサイル攻撃から自国を守る防衛システムの構築という軍事的な狙いも含まれていました。

研究と技術開発のため、両国政府は1939年から1945年の戦争後に職を失っていたドイツの優秀な科学者や技術者を積極的に招き入れました。

宇宙開発競争の概要

両国はほぼ同等の技術力と運用能力を有していましたが、世界で初めて人工衛星を軌道に投入したのはソ連でした。

ソ連の宇宙開発計画

宇宙開発競争(スペースレース)とは?米ソ冷戦下の技術開発競争を徹底解説

ソ連は1957年10月4日、人工衛星スプートニク1号を世界で初めて宇宙に打ち上げました。この出来事はアメリカにとって重大な挑戦と受け止められ、わずか4か月後にはアメリカがエクスプローラー1号を軌道に乗せることで応じました。

続いて人間を宇宙へ送り込む取り組みが本格化し、その準備として1957年には犬のライカを、1963年には2匹の犬とマウスを使用した宇宙飛行実験が実施されました。

後者のミッションが成功を収めると、ソ連は有人飛行の実現へと歩みを進めます。そして1961年4月12日、宇宙飛行士ユーリ・ガガリン(1934〜1968)が宇宙船ボストーク1号に搭乗し、人類で初めて地球の軌道の外から我々の惑星を眺めることに成功しました。

さらにその2年後となる1963年6月16日には、ソ連はワレンチナ・テレシコワを宇宙へ送り出し、彼女は女性として初めての宇宙飛行を成し遂げました。

アメリカが月へと視線を向けるなか、ソ連はむしろ宇宙空間の長期利用・植民の可能性に焦点を移していきました。その成果として1971年、世界初の宇宙ステーションが打ち上げられ、同年には3人の宇宙飛行士が約3週間滞在して各種実験を行いました。

さらにソ連は火星(1971年)や金星(1972年)にも探査機を送り込み、月面到達という夢を脇に置いて惑星探査へと舵を切ったのです。

アメリカの宇宙開発計画

宇宙開発競争(スペースレース)とは?米ソ冷戦下の技術開発競争を徹底解説

スプートニク打ち上げから3か月後の1958年1月31日、アメリカは人工衛星エクスプローラー1号を打ち上げました。この衛星は同年5月まで運用され、隕石に関する貴重なデータを送信し続けました。

しかしながら、ユーリ・ガガリンの歴史的な飛行は、アメリカに再び危機感を抱かせることとなりました。ソ連の快進撃を前に国内の政治的圧力は高まり、宇宙開発競争で主導権を握れない状況にアメリカ国民は屈辱を感じていました。

こうした背景を受けて1961年、ジョン・F・ケネディ大統領(1917〜1963)は議会において、アポロ計画を通じて人類を月面に着陸させる最初の国になると宣言しました。

同時に、有人宇宙船の開発と安全な帰還技術の確立を目的とするジェミニ計画も始動します。そして1962年2月20日、ジョン・グレンが宇宙船フレンドシップ7に搭乗し、アメリカ人として初めて地球を周回しました。

こうした努力は1969年7月20日に結実します。ニール・アームストロング(1930〜2012)が、バズ・オルドリンおよびマイケル・コリンズの両宇宙飛行士とともに3日間の旅を経て、人類で初めて月面に足を踏み入れたのです。

その後もアメリカは6回の追加有人ミッションを実施し、月面着陸と月の石の採集・分析を通じて月面探査を継続しました。

宇宙開発競争の終焉

宇宙開発競争を終わりへ導いた要因は複数あります。その一つが、1973年の第一次石油危機による燃料価格の高騰であり、宇宙開発の生産コストが大幅に上昇しました。

加えて、1970年代に入ると両超大国の間で外交的な接近が進み、冷戦終結に向けた動きが本格化しました。首脳会談の開催に加えて、ソ連とアメリカの宇宙機関の間でも協力関係が築かれ始めたのです。

その成果として誕生したのがアポロ・ソユーズ試験計画でした。1975年7月17日、アメリカのアポロ宇宙船とソ連のソユーズ宇宙船が宇宙空間でランデブーし、ドッキングを成功させました。この出来事が宇宙開発競争の幕引きとなったのです。

ただし、このミッションは成功を収めたものの、共同計画がその先へ発展することはなく、両国が再び宇宙開発で協力するには1990年代まで待たねばなりませんでした。

軍拡競争との関連

「軍拡競争」という用語は、平時において各国政府が短期間のうちに兵器の量と質を増強させる行動を表す際に用いられます。

近代における最初の軍拡競争は、19世紀末にフランスとロシアがイギリスの海軍優位性に挑んだことで始まりました。

そして、ドイツがイギリスの軍事的な強大さを追い抜こうとしたことが、第一次世界大戦の勃発へとつながっていきました。

兵器の蓄積を制限する史上初の合意は、アメリカ、イギリス、日本の間の緊張に対処するため、ワシントンで調印されました。

その後、二つの超大国が宇宙を舞台に権力争いを始めたとき、「競争」という表現が再び使われることになりましたが、従来の軍拡競争と区別するため、今回は「宇宙」という言葉が添えられたのです。