衛生兵として戦場に立ちながら、やがてT-34戦車の乗員となり、終戦まで戦い抜いたイリーナ・レフチェンコ。彼女は赤軍史上、最も輝かしい女性英雄の一人として名を刻んでいる。
17歳で志願した若き衛生兵
イリーナ・レフチェンコは1924年3月15日、ソ連に生まれた。1941年6月、ナチス・ドイツがソ連に侵攻した当時、彼女はまだ学生だった。しかし祖国の危機に直面すると、即座に義勇衛生兵として志願し、わずか17歳にしてブリャンスク方面の第61軍隷下、第149狙撃師団に配属された。
包囲網から168人を救出
ソ連軍にとって悲劇の連続だった開戦初期の日々、レフチェンコはドイツ軍の包囲網の中に取り残された負傷兵168人を救い出すという離れ業を成し遂げた。この救出作戦の途中で、彼女自身も二度にわたり負傷している。この苦渋の経験を経て、彼女はドイツ軍に復讐を果たすべく、装甲部隊への転属を心に決めたのである。
クリミアでの活躍――T-60で敵に応戦
1942年2月、レフチェンコは衛生兵として戦車旅団に配属され、クリミア戦線に赴いた。ここで彼女は28人の負傷兵を救出しただけでなく、敵兵一名の捕獲にも成功している。さらに驚くべきことに、負傷兵の後送を援護するため、自らT-60軽戦車に乗り込み、全員が安全に退避するまでドイツ軍に砲火を浴びせ続けたのだ。
重傷と赤星勲章、そして夢への挑戦
その後のある戦闘で、彼女が搭乗していた戦車は被弾し、レフチェンコは重傷を負った。この度重い功績により赤星勲章の叙勲候補となったものの、傷の影響で除隊が検討される事態に陥る。しかし彼女は諦めなかった。装甲戦車部隊の最高幹部であるフョードレンコ将軍に直談判を行い、自分が依然として戦闘任務に耐えうることを自力で納得させてみせたのだ。
それだけにとどまらない。彼女は将軍を説き伏せ、幼い頃からの夢であった「戦車乗り」への転身の許可までも勝ち取ったのである。
戦後の人生と栄誉
正式な戦車兵となったレフチェンコは、その後T-34戦車の乗員として終戦まで各地を転戦した。彼女は1965年にソ連最高の栄誉である「ソ連英雄」の称号を授与され、これを受けた極めて少数の女性戦車兵となった。戦後は回想録『対等なる者たちの間で』を著すなど、作家・ジャーナリストとしても幅広く活動し、その勇気ある足跡は今日まで語り継がれている。