1940年5月、フランスを襲ったドイツ軍の電撃戦。その敗北の原因については、「ドイツ戦車の方が優れていた」という説明が長く語られてきた。しかし、両軍が実際に投入した戦車の性能を冷静に比べれば、この通説は崩れていく。問題は鋼鉄の質量ではなく、運用思想と指揮にあったのである。
フランス軍が持っていた4種類の機動師団
1940年のフランス陸軍は、高速機動を担う師団として4種類を保有していた。軽騎兵師団、軽機械化師団(軽装甲師団)、混成装甲師団、そして自動車化歩兵師団である。自動車化歩兵師団の編制は通常の歩兵師団とほぼ同じだが、移動手段を完全に自動車化していた点が異なる。
軽騎兵師団――旧騎兵の延命形
軽騎兵師団は旧来の騎兵師団が進化したもので、1936年にイタリア陸軍の「チェレーレ(高速)師団」を手本として創設された。実在した5個師団のそれぞれは、騎兵連隊4個、竜騎兵(乗車歩兵)大隊1個、砲兵および後方支援部隊からなり、各騎兵連隊は騎乗騎兵4個中隊と装甲偵察車・軽戦車1個中隊で構成されていた。
各師団は合計64両の装甲車両を有する。理論上は偵察や遅滞・接触任務を担当するはずだったが、その装備では、火砲も兵力でも自らを上回る普通の歩兵師団相手ですら、こうした任務を遂行できる水準には到底なかった。
軽機械化師団――最初の本格装甲師団
1937年、軽機械化師団の創設が決定された。これがフランス陸軍初の「本物の」装甲師団である。各師団は約150両の戦車を擁し、ソミュアS-35、オチキスH-35/H-39、ルノーAMC、ルノーR-35などで編成されていた。
ソミュアS-35は、おそらく当時のフランス陸軍が持つ最良の戦車だった。最大厚56mmの傾斜装甲を備え、当時最高クラスの対戦車砲である47mm砲で武装し、同時代のあらゆるドイツ戦車の装甲を貫徹できた。
一方、オチキス戦車は装甲こそ良好だったものの、その多くは頼りない37mm/21倍径SA砲を搭載していた。H-39の改良型では37mm/33倍径砲への換装が進められている。
ルノーR-35は防御力は高いものの速度が遅く、短砲身37mm砲を搭載していた。対照的にルノーAMCは47mm砲か、初速900m/sの25mm砲のいずれかを備えていたが、装甲面では見劣りした。
混成装甲師団の誕生とB1重戦車
フランス参謀本部が、独自の自動車化歩兵も併せ持つことから「混成」と呼ばれた本格的な装甲師団の創設を決断したのは、ようやく1938年末のことだった。ドイツ軍の攻勢開始までに3個師団が編成され、4個目が編成途上だった。各装甲師団はB1重戦車60両とH-39軽戦車120両を保有していた。
B1戦車は最大厚60mmの強固な装甲を持ち、砲塔に47mm対戦車砲、車体右前部の特殊な砲架に75mm砲を搭載していた。唯一の欠点は低速なことだった。
しかしその優れた装甲は高い生存性を保証した。B1の装甲は、当時ドイツ最重量級だったPz.IVが搭載していた短砲身75mm砲の射弾にすら耐えたのである。これを撃破できたのは、有名な88mm砲だけだった。1940年5月10日の時点で、このタイプは384両が現役にあった。
しかし、歴史家E・バイヤーが著書『装甲戦争』で的確に述べているように、装甲師団とは「……単に500両の戦車のことではない。何よりまず運用ドクトリンであり、3,000台の車両を管理し、機動させ、戦場で運用し、給油と修理を平常通りに行えるほど訓練された参謀組織」なのである。
「ドイツ戦車優位」神話の正体
まさにこの点で、フランスは立ち遅れていた。フランス側自身が育ててきた「ドイツ戦車の優越」という神話は、悲惨で恥ずべき敗北を正当化するために作り上げられたものだった。実際、第1装甲師団は戦車の燃料枯渇によって壊滅し、第3装甲師団は指揮官が師団を集中運用せず、一つまた一つと小出しに戦場へ投じたために打ち破られた。
装甲師団が正統的な方法で運用された唯一の例では、ド・ゴール率いる第4装甲師団は、最終的にシュトゥーカの爆撃を受けて退却を余儀なくされたとはいえ、その任務を果たすことに成功している。
大規模戦車戦の唯一の事例
大規模な戦車戦が行われた唯一の機会は、5月12日から13日にかけてアニとヴァレムの間で発生した。フランス第2・第3軽機械化師団のソミュアとH-35が、ドイツ第3・第4装甲師団と正面衝突したのである。結果としてフランス軍は敗北して退却を強いられたが、ドイツ軍には極めて苦く血なまぐさい教訓を刻み込んでみせた。
結局、問題は戦車ではなかった
要するに問題の核心は、フランスの将軍たちが戦車を戦局を決定する手段と認識できなかったことにある。むしろフランスの戦闘教範は、戦車は歩兵に随伴する車両にすぎず、歩兵の力を補助するものであって、それに取って代わるものではないと明言していたほどだ。
戦闘規則の下では、戦車はあくまで歩兵の「召使い」だった。こうして合計7個のフランス装甲師団は、小さな「パッケージ」に分割されたまま、次々と、ほとんど何の成果も残さぬうちに撃破されていったのである。
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フランス軍B1ビス重戦車。ドイツ軍が実戦投入したどの戦車よりも優れていた。車体に75mm砲、砲塔に47mm砲を備える。唯一の弱点は低速だったことだ。

短砲身37mm砲を装備したフランス軍H-35軽戦車。

ソミュアS-35戦車。当時世界最高の中戦車と評され、47mm砲を備え、あらゆるドイツ戦車に対抗できた。

37mm砲を搭載したドイツ軍Pz.III戦車。

短砲身75mm砲を装備したドイツ軍Pz.IV戦車。1940年当時の現役最重量戦車だが、フランスのソミュアS-35とB1ビスはこれに対抗可能だった。

ドイツ軍Pz.II戦車。主武装は20mm機関砲のみで、装甲も薄かった。

ドイツ軍Pz.I戦車。武装は機関銃2挺のみだった。

ドイツ軍はフランス戦でもチェコスロバキア製のPz.35(t)、Pz.38(t)を多数使用した。いずれも37mm砲搭載で装甲は薄い。写真はPz.35(t)。

ドイツ軍のPz.38(t)戦車。

放棄されたフランス軍オチキスH-39軽戦車。37mm砲を搭載している。

フランス軍ルノーR-35軽戦車群。短砲身37mm砲を装備する。

1938年型D2中戦車。砲塔に47mm砲を備えるフランス軍戦車。

フランスの「重」戦車シャール2C(C2)。建造はわずか10両。その巨体(全重69t)こそが「重戦車」の名に値するものだったが、装甲はソミュアS-35より薄かった。75mm砲と機関銃4挺を装備していた。