
兵士でありながら料理担当という「コック」が戦場の英雄になるのは、ごくまれなことだ。しかし、ソ連軍に所属していたウクライナ出身の伍長、イワン・パヴロヴィチ・セレダは、それを現実のものとした。彼は1919年7月1日、クラマトルスク近郊の村アレクサンドリフカに生まれている。
料理人から兵士へ
セレダはドネツクで料理を学び、1939年11月に赤軍へ召集された。そして第46装甲師団第91戦車連隊に炊事兵として配属される。1941年6月22日、ドイツ軍がソ連に侵攻すると、戦争は彼のもとにも訪れた。同年8月、セレダの部隊はラトビアで戦っていた。
斧を持って戦車へ突撃
ある日、セレダは一人で夕食の支度をしていた。そこへ突然、戦車が現れたのだ。最初、彼は「もっと多くの食事を用意しなければ」と思うほどだった。しかしよく見ると、それはドイツ軍の戦車である。彼はすぐにテントの陰に身を隠した。戦車は停止し、乗員4人が降りてきて話し始めた。
セレダは迷わず小銃と、薪割り用に持っていた斧をつかみ、叫び声を上げながら狂人のように彼らへ突撃した。ドイツ兵たちは慌てふためいて戦車に逃げ込み、戦車は動き出す。夕暮れで視界の悪い中、ドイツ兵たちは車載機関銃を無差別に乱射した。
ところが、セレダはすでに戦車によじ登っていた。彼は重い斧で砲身を何度も叩きつけ、主砲を使いものにならなくしてしまったのである。さらに「手榴弾を持って来い!」と仲間に怒鳴り続けた。もちろん、その場に味方は誰もいない。この叫びはドイツ兵を怯えさせるための演技だったが、それは見事に成功した。恐怖に耐えかねたドイツ兵たちはハッチを開け、一人、また一人と戦車から降りてきたのだ。
捕虜4名を確保
セレダはドイツ兵の一人に他の仲間たちを縛らせ、同僚が到着して彼らを引き取るまで見張りを続けた。こうして、料理人は戦闘兵士へと転身を遂げる。この武勇伝により、セレダは同年8月31日に「ソ連英雄」の称号を授与された。
二度目の武勇伝
数週間後、セレダはソ連兵を追跡するドイツ戦車を目撃した。やがて戦車が停止し、車長がハッチを開けた瞬間――彼が待ち望んでいた好機が訪れる。セレダは即座に駆け寄り、戦車によじ登って内部へ手榴弾を投げ込み、乗員を全滅させた。さらに接近してくるドイツ歩兵に対しては、戦車の機関銃で応戦。およそ10名を射殺し、さらに数名を投降させたのである。
将校への昇進と終戦まで
その後、セレダは将校に昇進し、第46狙撃師団第4狙撃連隊で小隊長を務めた。小隊を率いてレニングラード方面で戦い、続いて第185狙撃師団第7連隊の中隊長として、1941年から42年にかけての冬に行われたモスクワ周辺でのソ連軍反攻作戦に参加している。
彼は終戦まで戦い続け、1945年に中尉として除隊した。お玉を小銃に、そして最後には短機関銃に持ち替えた料理人は、「ソ連英雄」の称号を胸に、戦場を生き抜いたのである。