古代の歴史

「背教者」ユリアヌス、ストラスブールでゲルマン軍を殲滅――戦死者243対6000の奇跡的勝利

「背教者」ユリアヌス、ストラスブールでゲルマン軍を殲滅――戦死者243対6000の奇跡的勝利

西暦355年、西ローマ帝国の情勢は危機的状況にあった。ライン川の国境を突破したゲルマン人(アレマンニ族とフランク族)は、ガリア奥深くまで侵攻していた。皇帝コンスタンティウス2世は、数少ない生存する親族の一人である従弟ユリアヌス――後に教会から「背教者」と呼ばれることになる皇帝――に、状況の回復を命じた。

しかしコンスタンティウスがユリアヌスに与えた兵力は、わずか360騎の騎兵だった。一連の機動作戦の後、357年夏、ユリアヌスはアレマンニ族とその同盟者ブルグント族に対して進撃を開始した。この戦いに関する主要な史料は、事件の同時代記録者である歴史家アンミアヌス・マルケリヌスである。アンミアヌスによれば、ユリアヌスは6時間の行軍を経て、ストラスブールの南西約3kmにあるオーバーハウスベルゲン付近に到達し、まず部下を休ませようとした。ところが兵士たちはこれを拒み、「直ちに我々を戦いへ導いてほしい」と訴えたという。

両軍の兵力と配置

同じ頃、アレマンニ族の指導者クロドマルは小規模なローマ軍を発見すると、ほぼ3倍の兵力を率いてこれに対抗しようと動いた。ユリアヌスは全騎兵約3,000騎を右翼に二列で配置した。中央には重装歩兵4,000を置き、その両側を軽装部隊が支援した。第二列には約1,000人の弓兵を配し、曲射によって第一線の部隊を支援させる任務を与えた。

さらに左翼の前面には鬱蒼とした森が広がっていたが、そこにはセウェルス将軍率いる約2,000人の歩兵を配置した。ユリアヌス自身は200騎の親衛精鋭騎兵を戦列の中央に据え、予備として約3,000人の歩兵も掌握していた。

これに対してアレマンニ側は、約2,000人の軽装歩兵を森の中に潜ませてローマ軍の左翼に備え、主力歩兵は密集隊形を組んで中央のローマ歩兵に向けて前進した。約4,000のアレマンニ騎兵は軽装歩兵の支援を受けながらローマ騎兵へ突撃した。ゲルマン騎兵は密集陣形を組み、ユリアヌスの約1,000騎の重装騎兵による猛攻に耐え抜こうとしたのである。

壮絶な戦闘の始まり

両軍の準備が整うと、アレマンニとブルグントの戦士たちは、指導者クロドマルに歩兵の先頭に立ち、自ら彼らを戦いへ導くよう求めた。クロドマルはこれに応じたが、その結果、彼は総司令官から「数千の戦士のうちの一人」へと成り下がり、軍全体への統制を完全に失ってしまう。

戦闘は、ユリアヌスが敵騎兵に対して「サッギタリイ」(騎馬弓兵)を放ち、損害と混乱を引き起こすところから幕を開けた。続いてローマの重装騎兵が突撃した。しかし、騎兵を支援するゲルマン軽装歩兵がここで決定的な役割を果たすことになる。ゲルマンの歩兵たちは極めて巧妙に戦い、次々とローマの馬を打ち倒していったのだ。

そして信じがたいことが起こった。ローマの重装騎兵は敗走し、味方歩兵の戦列をも崩しかけたが、これはユリアヌスみずからの介入によって辛うじて回避された。歴史家ゾシモスによれば、戦場へ戻ることを拒んだある重装騎兵部隊に対し、ユリアヌスは「女装を命じた」という逸話が伝えられている。

残りのローマ騎兵は味方歩兵の側面を掩護し、ゲルマン騎兵を足止めすることに成功した。しかし、ユリアヌスが勝利の鍵と期待していた騎兵戦力は、こうして無力化されてしまった。これに勇気づけられたゲルマン人は、野太い叫び声と喧騒を上げながらローマ歩兵へ殺到した。ローマ歩兵は盾の壁を築き、リプタリア(小型投槍と大型の矢の中間にあたる、錘のついた手投げ式投射武器)、投槍、矢の一斉射撃によって敵に甚大な損害を与えた。

戦線崩壊の危機と反撃

これを見たゲルマンの精鋭たちは楔形陣形を組んで再攻撃を仕掛け、ローマ歩兵の戦列に突破口を開くことに成功した。すべての兆候は、やがてユリアヌスの小規模な軍が壊滅することを示していた。だがローマ軍は二つに分断されながらも、分離された状態のまま持ちこたえ抜いた。同時にセウェルスは罠を疑って、森へ向かう動きを見せなかった。ところがゲルマン人は忍耐を失い、中央での苦戦を目の当たりにすると、無秩序にセウェルスの部隊へ殺到し、あっさり撃退される。一方、ユリアヌスは予備兵力を投入して、中央の突破口を塞ぐことに成功した。

ここでゲルマン人は致命的な過ちを犯した。第一戦列を無力化しないまま、第二のローマ戦列へ攻め込んでしまったのである。こうして三方向から打撃を浴びせられた突出部のゲルマン兵たちは、容赦なく虐殺された。さらにセウェルスの部隊が中央の戦闘に加わると、もはや対峙する敵がいなくなったため、ゲルマン軍の右翼を攻撃できるようになった。中央の突破口は完全に塞がれ、ローマ歩兵の全軍が無秩序な敵へ総攻撃を開始した。まもなくゲルマン軍は四分の三ほど包囲され、圧倒的な打撃を受けて敗走し、ローマの軽装部隊と騎兵に執拗に追撃された……

ライン川へ追い詰められたゲルマン軍

そして虐殺が始まった。ゲルマン人は前方に敵、背後にライン川という絶体絶命の状況に追い込まれたのである。数千人が殺され、さらに多くの者が降伏し、大川を泳いで渡ろうとして多くが溺死した。アンミアヌスの記録によれば、ゲルマン人の戦死者は6,000人、捕虜は8,000人(指導者クロドマルを含む)、溺死者は2,000人に上った。一方、ローマ軍の戦死者はわずか243人だったという。

「背教者」ユリアヌス、ストラスブールでゲルマン軍を殲滅――戦死者243対6000の奇跡的勝利

ローマ重装騎兵の敗走。

「背教者」ユリアヌス、ストラスブールでゲルマン軍を殲滅――戦死者243対6000の奇跡的勝利

ストラスブールの戦い。両軍の当初の配置。

「背教者」ユリアヌス、ストラスブールでゲルマン軍を殲滅――戦死者243対6000の奇跡的勝利

ゲルマン軍の攻撃、戦列への突破口と、その後のローマ戦列の回復。