古代の歴史

メアリー・チューダーはいかにしてイングランド王位に就いたのか――1553年の継承危機を解説

1553年、エドワード6世の急逝により、イングランドは深刻な王位継承危機に直面しました。この混乱の中でメアリー・チューダー(後のメアリー1世)が王位に就くことになります。その背景には、政治的な空白、宗教的な支持基盤、そして議会の承認といった複数の要因が絡み合っていました。

エドワード6世の死と「ジェーン・グレイ擁立」の企て

エドワード6世は1553年7月、わずか15歳で病死しました。死期を悟った彼は、異母姉であるメアリーとエリザベスを継承順位から外し、王室の血を引くジェーン・グレイを後継者とするよう遺言を書き換えさせました。この計画の背後には、自らの権力維持を図ろうとするノーサンバランド公ジョン・ダドリーの思惑があるとされています。

しかし、正統な継承者を排除するこの人事は、国民や貴族の多くに受け入れられず、むしろメアリーの正統性を支持する動きが各地で広がっていきました。

カトリック信仰がもたらした幅広い支持

メアリーは敬虔なカトリック教徒でした。父ヘンリー8世や弟エドワード6世が推し進めたプロテスタント改革に対し、国内には依然として旧来のカトリック信仰への回帰を望む人々が多数残っていました。メアリーの揺るぎない信仰は、そうした層にとって希望となり、彼女を支える強固な基盤となったのです。

軍事的な対決とジェーン・グレイの失脚

ノーサンバランド公はジェーン・グレイの擁立を確実にするため、メアリー討伐に向けて軍勢を率いました。しかしメアリーはサフォーク州のフランリンガム城を拠点として素早く行動し、貴族や地方の名士たちの支持を次々と取り込んでいきました。

結果として、ノーサンバランド公の軍勢は本格的な戦闘を行うことなく崩壊し、彼自身も捕らえられました。ジェーン・グレイはわずか9日間の在位で退位を余儀なくされ、投獄されました。

議会による正式な承認

こうした一連の展開を受け、議会はメアリーの王位継承を正式に承認しました。これにより彼女は正当なイングランド女王としての地位を確立し、1553年10月1日にウェストミンスター寺院で戴冠式を挙行しています。

まとめ

メアリー・チューダーの即位は、エドワード6世の死がもたらした政治的空白、カトリック回帰を望む民衆の支持、迅速な軍事的対応、そして議会による承認という複数の要因が重なった結果でした。イングランド史上初の女性君主としての彼女の統治は、その後の王国の歴史における大きな転換点となりました。