18世紀の北米入植者(植民地人)たちは、イギリス本国の統治に対して次第に強い不満を抱くようになりました。その不満はやがて独立運動へと発展し、アメリカ独立革命へとつながっていきます。ここでは、入植者たちがイギリス政府に声を上げ、抵抗するようになった主な理由を詳しく見ていきましょう。
代表なくして課税なし――税金問題への怒り
入植者たちを最も激怒させたのが、「代表なくして課税なし(No taxation without representation)」と呼ばれる問題です。イギリス議会は、入植者たちの意見を一切聞かずに、一方的に税金を課しました。砂糖法や印紙法など、さまざまな税が次々と導入されたのです。
入植者たちは自らが選んだ代表者をイギリス議会に送ることができなかったため、自分たちの納めた税金がどのように使われるのか、まったく発言権を持てませんでした。これは「イギリス国民としての権利」を侵害する行為だと彼らは考え、強い反発を示すようになりました。
貿易への干渉――経済成長を阻む規制
イギリス政府は、航海法などの法律によって植民地との貿易に厳しい制限を設けていました。これにより、入植者たちは他国と自由に交易することができず、イギリスとの取引だけに縛られることになりました。
こうした貿易規制は、植民地経済の多様な発展を妨げ、利益の多くを本国が吸い上げる仕組みになっていました。経済的な自立を目指していた入植者たちにとって、この状況は大きな不満の種となりました。
自治権の欠如――自分たちで決められない政治
入植者たちは、自分たちの地域の問題について自分たちで決定する権利を求めていました。しかし実際には、遠く離れたロンドンのイギリス政府が、植民地に関するあらゆる決定を下していました。
自分たちの生活に直結する法律や政策についても、選挙で選ばれた代表者がいないまま決められていく現実に、入植者たちは「自分たち自身の法律を、自分たちの手で作りたい」という願いを強くしていきました。
宗教の自由への渇望
宗教面での不満も見逃せません。イギリス政府の宗教政策はイングランド国教会を優遇しており、他の宗派や信仰を持つ人々には不利な扱いでした。
ピューリタンやクエーカーなど、宗教的迫害を避けて新大陸に渡ってきた人々の子孫たちは、国家による宗教の押しつけを受け入れられませんでした。誰もが恐れずに自分の信仰を実践できることこそ、彼らがこの地で求めてきた理想だったのです。
不満の積み重ねが独立革命へ
以上のような不満は、単独のものではなく互いに関連し合いながら蓄積していきました。ボストン茶会事件(1773年)に象徴されるような抗議行動が起こり、緊張は高まる一方でした。
そして1775年、ついにレキシントン・コンコードの戦いで武力衝突が勃発。翌1776年にはトーマス・ジェファーソンらが起草した「独立宣言」が採択されました。8年に及ぶ戦争の末、1783年のパリ条約によってイギリスはアメリカの独立を承認し、13の植民地は「アメリカ合衆国」という新しい国家としての歴史を歩み始めたのです。