植民地時代の学校における厳しい懲罰
植民地時代のアメリカでは、学校で行儀の悪い子供たちはしばしば厳しい体罰を受けていました。その内容は、棒や鞭による殴打をはじめとする、さまざまな身体的な懲罰に及びました。当時は「甘やかさず厳しく躾けることこそが良い教育」という考え方が一般的で、教師による体罰はごく普通のことだったのです。
公開の恥をさらす罰
場合によっては、子供が「足枷(ストック)」や「晒し台(ピロリー)」と呼ばれる拘束具に入れられることもありました。これらの装置は手足や首を固定して身動きを取れなくするもので、教室や地域の人々の前で嘲笑の的にさらされました。身体的な痛みだけでなく、公衆の面前での屈辱という精神的な苦痛も伴う、非常に過酷な罰でした。
そのほかの懲罰の種類
体罰や拘束具以外にも、次のような罰が与えられることがありました。
- 教室の隅に立たされる
- 食事や特権を取り上げられる
- 同じ文を何度も書き写させられる
- 余分な作業や雑用を課せられる
このほか、「間抜け帽(ダンス・キャップ)」と呼ばれる尖った帽子をかぶらされ、みんなの前で恥をさらされるという罰もよく知られています。
こうした厳しい懲罰は、当時の社会において規律と服従を重んじる価値観を反映したものでしたが、現代の目から見ると非常に過酷で、児童への配慮が欠けていたと言わざるを得ません。