古代の歴史

ハンムラビ法典は元々どこに楔形文字で刻まれていたのか?

「楔形文字で書かれていたのはどこか」という問いの答えとして最も有名なのが、古代バビロニアのハンムラビ法典です。この法典は、紀元前1754年頃、バビロン第6代王ハンムラビの命により、黒色閃緑岩(ダイオライト)と呼ばれる硬くて黒い岩石の石碑(スティラ)に、楔形文字で刻まれました。

石碑が発見された場所

この石碑は、現在のイランにあたる古代都市スーサ(Susa)の遺跡から出土しました。スーサはかつてエラム王国の都であり、法典の石碑はバビロンから戦利品として持ち去られたと考えられています。

現在の所蔵先

1901年から1902年にかけてフランスの考古学調査隊によって発掘されたこの石碑は、現在、フランス・パリのルーヴル美術館に収蔵され、一般公開されています。高さ約2.25メートルの石碑の上部には、ハンムラビが太陽神シャマシュから法を授かる場面を描いたレリーフが彫られています。

歴史的な意義

ハンムラビ法典は、「目には目を」という同害報復の原則など282条の条文から成り、現存する世界最古級の成文法の一つとして知られています。楔形文字で記されたその内容は、当時の社会構造や人々の生活を知る貴重な史料となっています。