中世ヨーロッパ史における大きな転換点となった十字軍。なかでも第1回十字軍(1096年〜1099年)と第2回十字軍(1147年〜1149年)は、目的こそ似ていますが、その性格や結果は大きく異なっていました。本記事では、両者の主な違いを5つのポイントに分けて分かりやすく解説します。
1. 遠征のきっかけとなった出来事が違う
第2回十字軍は、1144年にモースルのセルジューク朝支配者ザンギーによってエデッサ伯国が陥落したことを受けて起こされました。エデッサは十字軍国家の中で最も東に位置する要衝であり、その失陥は西欧に大きな衝撃を与えました。
一方、第1回十字軍は1071年にセルジューク朝がエルサレムを支配下に置いたことへの対応として始まったものです。つまり、両者の発端となった出来事自体が異なるのです。
2. 指導者の立場が異なる
第2回十字軍の大きな特徴は、フランス王ルイ7世と神聖ローマ皇帝コンラート3世という二大国の君主が直接指揮を執ったことです。これに対して第1回十字軍は、さまざまな貴族や聖職者たちによって率いられていました。
国王クラスが参加したことで、第2回十字軍はより政治的・国家的な色彩の強い遠征となり、動員の組織化も進みました。
3. 規模と組織力の差
第2回十字軍は、第1回十字軍よりもはるかに大規模で、綿密に計画された遠征でした。推定では約10万人が動員されたとされ、約3万人規模だった第1回十字軍の3倍以上に及びます。
また、説教者ベルナルドゥスの熱心な布教活動によって広く民衆の支持を集め、ヨーロッパ各地から大規模な軍勢が集結しました。
4. 成果の大きさが正反対
しかし、規模の大きさほどの成果は得られませんでした。第1回十字軍は1099年にエルサレムを攻略することに成功し、十字軍国家を建設しました。
これに対して第2回十字軍は、1148年のダマスカス包囲戦に失敗し、本来の目標であったエデッサの奪還すら叶わないまま撤退を余儀なくされます。この大失敗は十字軍運動全体の威信を大きく損ないました。
さらにその後、1187年のハッティンの戦いにおいて十字軍側はサラディンに壊滅的な敗北を喫し、同年、エルサレムはエジプトとシリアを支配するアイユーブ朝のスルタン、サラディンの手に落ちることとなります。
5. 数々の負の遺産を残した
第2回十字軍は、軍事的失敗にとどまらず、多くの否定的な結果をもたらしました。その代表例が以下の通りです。
- ヨーロッパにおけるユダヤ人虐殺:遠征の途上、一部の十字軍兵士がユダヤ人共同体を襲撃しました。
- 宗教的不寛容の高まり:異なる信仰への敵意が社会全体に広がりました。
- ビザンツ帝国の弱体化:西方との対立が深まり、後に東西キリスト教会の決定的な亀裂につながりました。
まとめ
第2回十字軍は、第1回十字軍と比べて発端となる事件も異なり、国王が直接指揮する大規模で組織的な遠征でした。しかし、その結果は惨憺たるものであり、エデッサ奪還に失敗しただけでなく、ヨーロッパ社会に長く尾を引く負の影響を残すこととなりました。規模と成果が必ずしも比例しないことを示す、歴史の好例と言えるでしょう。