古代の歴史

「百日天下」とは何か?ナポレオンのエルバ島脱出からワーテルローの敗北まで

「百日天下」の始まり

「百日(セ・ジュール)」あるいは「百日天下」と呼ばれるのは、1815年3月にナポレオン・ボナパルトが流刑先のエルバ島を脱出し、パリへ帰還して権力を回復してから、同年6月のワーテルローの戦いで敗北するまでの約100日間を指す歴史用語です。

エルバ島からの脱出と復位

1814年、ナポレオンは連合国軍に敗れて帝位を退き、地中海に浮かぶ小さなエルバ島への追放処分を受けました。しかし1815年2月末から3月初めにかけて、彼は少数の部隊とともに島を脱出します。フランス本土に上陸したナポレオンは、迎え撃つために派遣された政府軍の兵士たちを次々と自らの陣営へ引き込みながら進軍し、3月20日にパリへ入城。ルイ18世は逃亡し、ナポレオンは再びフランス皇帝の座に返り咲きました。

ワーテルローの戦いと終焉

復位を果たしたナポレオンに対し、ヨーロッパ各国は即座に第七次対仏大同盟を結成し、戦火が再燃しました。1815年6月18日、ベルギーのワーテルローにおいて、ウェリントン公率いるイギリス・オランダ連合軍とプロイセン軍の前に、ナポレオン軍は決定的な敗北を喫します。

この敗北により、ナポレオンは6月22日にふたたび退位を余儀なくされました。その後、彼は南大西洋の孤島セントヘレナへ流され、1821年に同地で生涯を閉じています。一方フランスではルイ18世が帰国し、王政復古が完成しました。

なぜ「百日」と呼ばれるのか

この一連のできごとは、3月20日のパリ帰還から6月22日の退位までがちょうど約100日間であったことから、「百日(セ・ジュール)」「百日天下」と呼ばれるようになりました。わずか数か月で幕を閉じたナポレオン最後の統治期を象徴する名称として、今日でも広く定着しています。