叙事詩サイクルとは何か
「叙事詩サイクル」は、トロイア戦争に関わる出来事を描いていることから「トロイア・サイクル」とも呼ばれる作品群で、ギリシア・ラテン叙事詩で伝統的に用いられたダクティロス六脚韻で書かれた8つの詩から構成されています。
最も有名なのは、完全な形で現存する『イリアス』と『オデュッセイア』であり、いずれもホメロスの作とされます。しかし、これは8篇のうちの2篇にすぎません。残る6篇については、後世の作品に断片(わずか数行しか残っていないものもあります)が引用されているほか、プロクロスの『クレストマティア』(一種のアンソロジー)に各詩のあらすじがまとめられているため、タイトルと筋立てを知ることができます。なお、このプロクロスは5世紀に活躍した新プラトン主義の哲学者とは別人と考えられていますが、その詳細はほとんど分かっていません。
これらの詩に共通するのは、ミケーネ世界の崩壊(紀元前1200〜1100年頃)からアルカイック期(紀元前8世紀)まで続く、ギリシアの「暗黒時代」に発達した口承伝統に起源を持つという点です。文字として書き留められたのは、おそらくアルカイック期に入ってからでした。

作者はそれぞれ異なる人物とされ、時系列順に以下の通りです。
1. キュプリア(キプロスの歌)
タイトルは文字通り「キュプロス(キプロス島)にまつわるもの」を意味し、作者の出身地、あるいはキプロス生まれの女神アフロディーテとの関係を示している可能性があります。
作者はキプロスのスタシノス、あるいはフォティオスによればヘゲシアスとされます。ホメロス本人の作とする古代作家もおり、娘がスタシノスと結婚した際の贈り物として『キュプリア』を与えたのだと主張しています。ピンダロスなどはスタシノスを作者として言及し、プラトンも『エウテュプロン』の中でソクラテスの口を通じてこの作品を引用しています。
興味深いことに、1995年にはボドルム(古代ハリカルナッソス)で、ギリシア詩人の名を列挙した碑文が発見されました。その中にはそれまで知られていなかった「キュプリアス」という人物が含まれており、碑文は彼に『イリアカ』の作を帰しています(Jonathan Burgess, Kyprias, 2002)。
全11巻からなるこの詩は、トロイア戦争に至った経緯と開戦後9年間の出来事を描き、ちょうど『イリアス』の冒頭で終わります。ヘロドトスは両作品の矛盾を指摘しており、例えば『キュプリア』ではパリスがスパルタから直接トロイアへ来たことになっている一方、『イリアス』ではその前にシドンを経由したとされています。

『キュプリア』が『イリアス』より先に作られたのか後になったのかは明確ではありません。多くの専門家は、後になって文字化されたとみています。ただし、『イリアス』第2巻でトロイア勢とその同盟軍を列挙する「トロイア軍の目録」は、『キュプリア』から取られた可能性があると確信する研究者も少なくありません。
2. エティオピス
年代順では『キュプリア』の次に『イリアス』の出来事が続き、その後に『エティオピス』が位置します。全5巻で、ミレトスのアルクティノスの作とされます。彼は伝説的な詩人で、ホメロスの弟子とする説もあれば、ハリカルナッソスのディオニュシオスのように「最古の詩人」とする説もあります(『古代ローマ史』I-68.2)。
『エティオピス』の名は、ヘクトールの死後にトロイア側についたエチオピア王メムノーンに由来します。物語は『イリアス』の結末直後から始まり、アマゾンの女王ペンテシレイア(アキレウスに討たれます)の到着で幕を開け、アキレウスの死、そして彼の武具をめぐる大アイアスとオデュッセウスの対立で終わります。
ここに描かれた出来事は、古代ギリシアの陶器絵画で最も人気のあるモチーフの一つとなっています。
3. 小イリアス
『エティオピス』の後には、レスボス島のピュラ出身のレスケース(パウサニアスが言及した詩人で、紀元前700年頃の人物)の作とされる4巻の『小イリアス』が続きます。
ここでは、アキレウスの死から、木馬の計略によってトロイア城内に侵入しようとするギリシア軍の思惑までが描かれますが、都市の陥落と破壊そのものは扱われていません。
また、この詩はサイクルの中で原文の行が最も多く現存している作品でもあります(30行)。アリストテレスはこれについて「叙事詩一編に含まれるべき以上の筋を持つ」と評しました。

4. イリオウ・ペルシス(イリオンの陥落)
2巻からなる『イリオウ・ペルシス』(イリオンの略奪)は、トロイアの破壊を描き、『小イリアス』の直接の続編に当たります。古代人はその作者を、『エティオピス』と同じくミレトスのアルクティノスとしています。
物語は、ギリシア軍が陣営跡に残していった木馬をどう処理すべきかトロイア人たちが議論する場面から始まり、都市の略奪、ネオプトレモス(アキレウスの息子)の手によるプリアモス王の死、そしてオデュッセウスによるヘクトールの幼子アステュアナクスの殺害で終わります。
原詩で現存するのはわずか10行です。内容を知るうえで最も興味深い資料の一つが、6世紀後に成立したウェルギリウスの『アエネーイス』で、そこでは同じ出来事がトロイア側の視点から語られています。

紀元前5世紀、デルフォイの聖域では著名な画家ポリュグノトスが、「クニドス人のレスケ」と呼ばれる建物の壁に『イリオウ・ペルシス』を題材とした絵画を描きました。これらの絵画は現存しませんが、パウサニアスが詳細に記述しています。
5. ノストイ(帰還)
ギリシア語で「帰還」を意味する『ノストイ』は全5巻で、トロイア陥落後の英雄たちの帰還が描かれています。古代の資料は、トロイゼーンのアイギアスまたはコリントスのエウメロス(ともに紀元前8世紀の半ば伝説的な詩人)の作としています。
ディオメデスとネストールは大きな問題もなく故郷へたどり着きます。メネラーオスは難破してエジプトに漂着し、数年間そこにとどまります。ネオプトレモスは陸路で帰還し、途中でオデュッセウスに出会います。アガメムノンはミケーネに戻りますが、妻クリュタイムネストラとその愛人アイギストスに殺されてしまいます。
ギリシアの英雄たちは全員、家にたどり着くか道中で命を落とします――ただ一人、オデュッセウスを除いて。彼の帰還の物語は、サイクルの次の詩『オデュッセイア』で語られるのです。
6. テーレゴニア
叙事詩サイクルに終止符を打つのが『テーレゴニア』で、年代順では『オデュッセイア』の後に続きます。キュレネのエウガモンの作とされ、アレクサンドリアのクレメンスによれば、彼は伝説的詩人ムーセイオスから『テースプロティス』という詩を盗み、タイトルを変えたのだといいます。
実際には、エウガモンは先行する詩人たちと同じ口承伝統に従っただけかもしれません。彼らは同じ出来事を異なるタイトルで書き留めていた可能性があり、言うまでもなく、それらは一切現存していません。
研究者たちは、『テーレゴニア』と『テースプロティス』は同一の詩の別名であるか、あるいは後者が『テーレゴニア』の第1巻だった可能性があると考えています。いずれにせよ、原詩で今日まで残っているのはわずか2行です。
内容は二つの出来事、すなわちオデュッセウスのテースプロティアへの旅と、テーレゴノスの物語です。前者はペネロペーの求婚者たちの埋葬から始まり、『オデュッセイア』第11歌でテイレシアスから託された犠牲を捧げるため、オデュッセウスがテースプロティアへ旅立つ場面へと続きます。

後者は、魔女キルケーとオデュッセウスの息子テーレゴノスがイタケーに到着する話です。互いに気づかないままテーレゴノスはオデュッセウスと戦い、父親に致命傷を負わせます。過ちに気づいた彼は父の遺体をキルケーの島アイアイエーへ運び、オデュッセウスはそこに葬られます。キルケーはテーレゴノス、テーレマコス、ペネロペーを不死にし、物語はやや奇妙な形で幕を閉じます。なんと、テーレゴノスはペネロペーと、テーレマコスはキルケーと結婚するのです。
サイクルはいつ成立したのか
8つの詩がいつひとつの「サイクル」としてまとめられたのかは不明です。紀元前1世紀まで下るという説もあれば、もう少し早くする説もあります。例えばヘロドトスは、紀元前5世紀に著した『歴史』ですでに『キュプリア』に言及しています。
また、紀元前4世紀に生きた哲学者アリストクセノスは、ホメロスの伝統的な冒頭とは異なる『イリアス』の冒頭を知っており、その著『プラクシダマンテイア』第1巻に記しています。この代替の冒頭は、『イリアス』の物語をその直前の先行作『キュプリア』と結びつけることを意図したものでした。