ホルナダ・デル・ムエルト
ホルナダ・デル・ムエルト(Jornada del Muerto、スペイン語で「死者の旅」の意)は、ニューメキシコ州南西部からメキシコのチワワ州北部にまたがる砂漠地帯です。この名前は16世紀のスペイン人探検家たちによって付けられたもので、砂漠で渇きにより命を落とした男の遺体を発見したことに由来すると言われています。
極端な気温差、わずかな植生、水の不足といった過酷な環境でありながら、この谷には何千年もの間、人類が暮らしてきました。スペイン人が到着する以前には、ホルナダ・モゴヨンやアパッチなどのネイティブ・アメリカンの部族がこの地に住んでいました。
スペイン人探検家の到来
16世紀に入ると、金銀を求めるスペイン人探検家たちがこの地を横断するようになりました。スペイン人は谷にソコロなど複数の入植地を設立しました。ソコロは、メキシコシティとニューメキシコのサンタフェを結ぶ交易路「カミノ・レアル」を行き交う人々にとって重要な中継地点となりました。
アメリカ領への編入
19世紀には、米墨戦争の結果としてアメリカ合衆国がホルナダ・デル・ムエルトを獲得しました。米国政府はカミノ・レアルを旅する者たちを保護するため、この谷にフォート・セルデンを設置しました。同要塞はアパッチに対する軍事作戦の拠点としても機能しました。
核実験の中心地へ
20世紀には、ホルナダ・デル・ムエルトは核兵器実験の中心地となりました。1945年、米国政府はこの谷にホワイトサンズ・ミサイル実験場を設立しました。ここでは1945年に世界初の原子爆弾の実験が、1952年には最初の水素爆弾の実験が行われました。
今日のホルナダ・デル・ムエルトは人口の希薄な地域で、ソコロやトゥルース・オア・コンシクエンセスといった小さな町が点在しています。ホワイトサンズ・ミサイル実験場は現在も運用が続けられており、同時に壮大な砂漠の風景や歴史的史跡を求める観光客にも人気の目的地となっています。
ティグエ
ティグエ(Tiguex)は、ニューメキシコ州中部のリオグランデ川東岸に位置していたティワ族のプエブロ村です。13世紀に創建されたこの村は、ティワ族のプエブロの中でも最大級かつ最も重要な存在の一つでした。
コロラド遠征との接触
1540年、スペイン人探検家フランシスコ・バスケス・デ・コロラドが軍勢を率いてティグエに到着しました。コロラドはプエブロを占拠し、南西部探索の拠点として利用しました。スペイン人は数ヶ月間この地に留まりましたが、その間にティワ族との間で幾度も衝突が発生しました。
反乱と村の放棄
1541年、ティワ族はスペイン人に対して反乱を起こし、ティグエから彼らを追い出しました。スペイン人は1542年に再び戻りましたが、ふたたびティワ族に撃退されました。その後スペイン人は二度とティグエに足を踏み入れず、村は最終的にティワ族自身によっても放棄されました。
ティグエの遺跡は、ニューメキシコ州バーナリロ町の近郊に位置しています。当時のプエブロの遺構を目にし、その波乱に満ちた歴史に触れることができることから、多くの観光客が訪れるスポットとなっています。
時代とともに変わりゆく二つの土地
ホルナダ・デル・ムエルトとティグエは、いずれも長い歳月の中で劇的な変貌を遂げてきました。かつて過酷で危険な砂漠だったホルナダ・デル・ムエルトは、今では観光客が訪れる人気の目的地となっています。一方、かつて栄えたプエブロ村だったティグエは、静かな廃墟としてその歴史を物語っています。
こうした変化をもたらしたのは、スペイン人の到来、核兵器開発の進展、そして観光業の発展といった複数の要因です。これらの変化は、地域の風景のみならず、そこに暮らす人々の生活にも計り知れない影響を与え続けています。