イタリア・ローマを代表する円形闘技場「コロッセオ」。西暦5世紀にローマ帝国が崩壊した後、この壮大な建造物はどのような運命をたどったのでしょうか。ここでは、帝国滅亡後にコロッセオを襲った出来事を順を追ってご紹介します。
放置と荒廃
ローマの衰退とともに、地域の文化的・経済的な影響力も低下し、コロッセオは次第にかつての栄光を失っていきました。建造物の維持管理はほぼ放棄され、植物の繁茂や風化といった自然の力によって劣化が進んでいきました。
建材としての採掘
中世に入ると、コロッセオは貴重な資材の供給源として大規模に採石されることになりました。石灰岩のブロックや大理石の化粧板は、市内の教会、宮殿、住宅などさまざまな建設プロジェクトに転用されました。実際、サン・ピエトロ大聖堂やバルベリーニ宮殿の建設にもコロッセオの石材が使われたと伝えられています。
宗教的な象徴として
物理的には衰退したものの、コロッセオはキリスト教にとって重要な象徴的意味を持ち続けました。初期キリスト教徒の殉教者が闘技場で命を捧げたという伝承と結びつけられ、宗教儀式や巡礼の場としても利用されるようになりました。18世紀には教皇によって聖地と宣言され、闘技場内に十字架が設置されています。
変遷と再利用
長い歳月の中で、コロッセオはさまざまな用途に転用されてきました。紛争の時期にはローマの貴族家によって要塞として一時的に使用され、また闘牛や歴史的行事の再現といった公共の見世物の会場にもなりました。
保存と修復の時代へ
18世紀頃になると、コロッセオの歴史的・建築的価値に対する認識が高まり始めました。記念碑の修復・保存の取り組みが本格化し、埋もれていた部分や出土品を明らかにする発掘調査も行われました。これが今日まで続く保全活動の出発点となり、コロッセオはローマ古代史の象徴であり、世界的に有名な観光名所としての地位を確立しました。
まとめ
ローマ帝国滅亡後のコロッセオは、放置と荒廃、建材としての採掘、宗教的象徴への転換、要塞や見世物会場としての再利用など、数々の変遷を経てきました。こうした波乱の歴史をくぐり抜け、現在では年間数百万人が訪れる、よく保存された記念碑となっているのです。