1620年:プリマス植民地の創設
1620年9月、イングランドのピューリタン(清教徒)である「ピルグリム」たちは、イングランドの港町プリマスからメイフラワー号に乗り込み、新大陸へと出航しました。約2か月に及ぶ過酷な航海の末、彼らは現在のマサチューセッツ州にあたるケープコッドに到着します。1620年から21年にかけての冬をプリマスで過ごした彼らは、「メイフラワー契約(Mayflower Compact)」と呼ばれる文書を作成しました。これは植民地における自治の枠組みを定めた、歴史的に非常に重要な文書です。
初期のピルグリムたちは、病気や飢餓、先住民との対立など、数多くの困難に直面しました。しかし彼らはこれらの試練を乗り越え、やがて植民地を繁栄へと導いていったのです。
1620年に起きた主な出来事
- ピルグリムたちがメイフラワー号でケープコッドに到着
- プリマス植民地の設立とメイフラワー契約の作成
- 厳しい冬を迎え、病気や飢饉に苦しむ
- 先住民族ワンパノアグ族との交流と平和条約の締結
- ワンパノアグ族とともに最初の感謝祭(サンクスギビング)の宴を開催
アメリカ史における意義
プリマス植民地の創設は、アメリカ史上きわめて重要な出来事でした。ここはニューイングランド地方における最初の恒久的なイギリス人入植地であり、その後の同地域における他の植民地設立への道を開きました。ピルグリムたちが残した「自治」と「宗教的自由」という遺産は、現代のアメリカ社会や文化にも深い影響を与え続けています。