古代の歴史

ビクトリア朝時代の救貧院(ワークハウス)に入るには何歳から?入所年齢の実態

ビクトリア朝時代の救貧院と入所年齢

ビクトリア朝時代のイギリスにおいて、救貧院(ワークハウス)への入所に定められた最低年齢は、時代や地域の運営方針によって異なっていました。全国一律の明確な基準は存在せず、救貧法組合や監督官の裁量に委ねられる部分が大きかったのです。

16歳未満の子どもの扱い

一般的には、16歳未満の子どもが単独で救貧院に入ることは認められず、親または保護者の同伴がある場合に限られていました。これは子どもへの配慮というより、家族単位で貧民を管理するという当時の制度設計を反映したものです。

孤児や捨て子の場合

一方で、孤児や親に見捨てられた子どもについては、例外的に救貧院への入所が認められることがありました。しかし彼らを待ち受けていたのは過酷な現実でした。家族から引き離されて別々の区画に収容され、大人と同様に重い労働を強制されることも決して珍しくなかったのです。

救貧院の厳しい実態

1834年の新救貧法(New Poor Law)以降、救貧院は「救貧院テスト」と呼ばれる仕組みの中核となりました。意図的に劣悪な環境を保つことで、生活保護を求める者を減らそうという発想です。男女は厳しく分離され、夫婦であっても別居を強いられ、子どもも親元から引き離されるのが通例でした。こうした実態は、ディケンズの『オリバー・ツイスト』などにも描かれ、後世に強い衝撃を与えることになりました。