西暦661年——これは、初代から数えて4人のカリフが率いた「正統カリフ時代」が終わった年です。このわずか約30年の間に、イスラム軍はアラビア半島から中東、北アフリカ、中央アジアに至る広大な地域を征服し、歴史上類を見ない急速な領土拡大を成し遂げました。ここでは、661年までにイスラム軍が征服した主要な地域を地域別・年代順に見ていきます。
アラビア半島の統一(~632年)
預言者ムハンマドの時代に、メッカとメディナを中心とするアラビア半島全域がイスラム勢力の下で統一されました。632年のムハンマドの死去後も、半島内の反乱部族との戦い(リッダ戦争)を経て、半島全体の支配が確立されます。
シリア征服(~636年)
636年のヤルムークの戦いで東ローマ(ビザンツ)帝国軍に決定的な勝利を収めると、イスラム軍はダマスカスをはじめとするシリア地方を掌握しました。ダマスカスは後にウマイヤ朝の首都となり、イスラム世界の政治的中心地となります。
イラク征服(~637年)
同じく636年にはカーディシヤの戦いでサーサーン朝ペルシャ軍を破り、翌637年にはサーサーン朝の首都クテシフォン(現在のイラク領)を陥落させました。これによりイラク地方はイスラム勢力の支配下に入ります。
エジプト征服(~641年)
名将アムル・イブン・アル=アースの指揮のもと、イスラム軍はエジプトへ進攻し、641年までにアレクサンドリアを含むエジプト全土を征服しました。エジプトはその後、イスラム帝国の重要な穀倉地帯として機能します。
ペルシャ征服(~651年)
642年のニハーヴァンドの戦いでの勝利により、サーサーン朝の抵抗は事実上崩壊しました。651年までにイスファハンを含むペルシャ(イラン高原)の大部分が征服され、最後のサーサーン朝皇帝ヤズデギルド3世が殺害されて王朝は滅亡します。
北アフリカへの進出(~647年)
647年にはトリポリやチュニス方面への遠征が行われ、北アフリカへの足掛かりが築かれました。本格的な北アフリカ征服は、その後のウマイヤ朝時代にさらに進んでいくことになります。
キプロスとアルメニアの攻略
海上勢力の拡大の一環として、649年にはキプロス島が攻略されました。また、653年頃にはコーカサス地方のアルメニアも支配下に置いています。
中央アジアへの拡大(~654年)
654年頃までに、ブハラやサマルカンドを擁するトランスオクシアナ(マー・ワラー・アンナフル、オクサス川以北の中央アジア地域)にも遠征軍が到達し、この地域への影響力を確立しました。
まとめ
661年までの約30年間で、イスラム軍はアラビア半島、シリア、イラク、エジプト、ペルシャ、北アフリカ沿岸、キプロス、アルメニア、そして中央アジアの一部を征服しました。この驚異的な拡大は、東ローマ帝国とサーサーン朝という二大国が長年の戦争で疲弊していたこと、征服地の住民に対する比較的寛容な統治政策、そして強力な軍事組織など、複数の要因が重なって実現したものとされています。