ヴォルプ川が生んだ三つの洞窟
フランス南西部、オクシタニー地方(旧ミディ=ピレネー地域)のモンテスキュー=アヴァンテ村のほど近くには、ヴォルプ川によって形成された三つの洞窟からなる地下洞窟群が広がっています。その一つが「トロワ・フレール(三人兄弟)洞窟」です。残りの二つは、驚異的な先史時代の粘土製バイソン像で知られる「テュク・ドゥドゥベール洞窟」(別記事で紹介済み)と、「アンレーヌ洞窟」です。
なかでも深さ430メートルに及ぶトロワ・フレール洞窟は、この洞窟群のなかで最も豊富な壁画装飾を誇ります。壁面には、マドレーヌ期(紀元前1万7000年~同1万年頃)に描かれた絵画や彫線が数多く残されているのです。
三人兄弟による発見とブライユの調査
この洞窟は1914年、アンリ・ベグエン伯爵の三人の息子たち――マックス、ジャック、ルイ――と友人2名によって発見されました。「トロワ・フレール」という名はここに由来します。彼らは2年前にもテュク・ドゥドゥベール洞窟を見出していました。発見された洞窟は、旧石器時代美術研究の先駆者であり、コレージュ・ド・フランス初の先史学教授でもあった考古学者にして聖職者のアンリ・ブライユにより、1920年から1938年にかけて本格的に調査されることになります。

壁画が語る動物たちと不思議な図像
ブライユは洞窟の絵画や彫刻のなかから、旧石器時代美術でも際立って独特かつ重要な図像をいくつか確認しました。まず、半分が人間で半分が動物という人獣合一(テリアントロポス)像が最大7点。さらに、バイソンの骨片にはバッタの姿が描かれており、これは今日、昆虫を表現した最古の作例と考えられています。
これに加えて、ライオン、フクロウ、バイソンなどの動物の彫刻、クラヴィフォーム(棒状記号)で覆われた馬の図像、そして奇妙なことに、槍のようなもので突き貫かれ血を吐くクマの図像も見つかっています。

約350点におよぶ図像群
ブライユはこれらすべてをスケッチし、その出版物の広範な普及によって、洞窟の姿は世界中に知られるようになりました。1958年にはブライユ自身とベグエンによる詳細な研究が数百枚の図版とともに刊行され、1967年には初めて写真による本格的な調査が実施されました。
洞窟内の図像は合計約350点にのぼります。内訳は、バイソン170点、馬84点、トナカイ40点、アイベックス(野山羊)20点、クマ8点、ネコ科動物6点、鳥類6点、マンモス2点、サイ1点、人間型図像7点、手形5点、そして無数の記号や抽象的サインです。
「聖域」に君臨する魔術師
数ある図像のなかでも特に注目されるのが、「魔術師」と呼ばれる図像です。それは「聖域」と呼ばれる小さな内部空洞の一つに位置しています。そこの壁面には、トナカイ、バイソン、馬、山羊、クマ、マンモス、人間型図像など、約280点(洞窟全体で最多の数)の絵画や彫刻が重ね描きされています。それらの上方、洞窟の床から約4メートルの高さに、まるで全体を見下ろすかのように「魔術師」は描かれているのです。

ブライユのスケッチとその解釈
「魔術師」は人間の姿をしているものの、他の動物の特徴を併せ持つ存在として表現されています。ただし、その具体的な姿については今なお議論が続いています。1920年代の初期調査でブライユはこの図像を研究してスケッチを残し、その公刊により、ヨーロッパ先史美術で最も有名な作例の一つとなりました。彼の詳細なスケッチによれば、これは人間の脚、クマの手、馬の尻尾、シカの角、バイソンの髭、フクロウの目を備えた擬人的な存在でした。
まもなくその意味をめぐる仮説が次々と登場しました。ある種の儀式を行う魔術師(だからこそ「魔術師」と名付けられた)、シャーマン(ブライユ自身はこれを確信していた)、精霊、さらには神格まで。後期旧石器時代の壁画芸術としては、まったく前例のない解釈でした。
現代の写真が映し出す「別の姿」
ところが、ここに問題が生じます。現代の高精度な写真が捉えているのは、ブライユのスケッチとはかなり異なる姿なのです。角の痕跡は一切見られず、その他の部分も輪郭以外ではブライユの図とほとんど一致しません。
一部の歴史家は、ブライユが岩の割れ目や自然の傷を図像の一部と誤認した可能性を指摘します。一方で、意図的に彫られた細い線が絵画と一体をなしているものの、光量不足のため写真では確認できない、と考える研究者もいます。

たとえば、フランスを代表する先史学者の一人であるジャン・クロットは、ブライユのスケッチが正しいことをあくまで主張しており、自ら20回近く洞窟内で実地に確認したと述べています。
先史美術理解への鍵
ほぼすべての研究者が一致しているのは、トロワ・フレールの「魔術師」が先史時代の壁画芸術を理解するうえで鍵となる図像であり、この洞窟を使用した共同体にとって極めて重要な崇拝対象だったはずだ、という点です。ブライユのスケッチは忠実な記録だったのか、それとも過剰な解釈だったのか――この論争は、先史美術の解釈の難しさを象徴する事例として、今日もなお語り継がれています。