タイ南部のラノーン市の中心部には、市の歴史を今に伝える小さな丘があります。ここはかつてラッタナーコーシン朝(バンコク王朝)時代の王宮が建ち、ラーマ5世ことチュラーロンコーン大王自らが足を運んだ由緒ある場所です。本記事では、この「歴史的な丘」の立地、地質、そして見どころについて詳しくご紹介します。
立地と地形
歴史的な丘は、ラノーン市の中心部にある「カオ・ニウェート(Khao Niwet)」と呼ばれる場所、旧ラノーン市庁舎の東側に位置しています。その姿は約50×30メートルの規模を持つ塚のような形をしており、旧市庁舎の床面より約2メートル、ルワン通り(Luang Road)よりも約10メートル高い位置にあります。
標高と周辺の水系
この丘の平均海面からの標高は55メートルです。周辺にはクロン・ローンハット、クロン・ハットソムパン、クロン・サパンユン、クロン・ダンといった水路が流れ、さらにクラビリ川(Kraburi River)を経てアンダマン海へとつながっています。
地質的特徴
ラノーン市街地の地質は、主にマングローブ湿地における堆積作用によって形成されたものです。第四紀に生じた山麓性の堆積物や停滞水域の堆積物が含まれており、海岸沿いの低地特有の地層構造を持っています。
歴史と文化的価値
ラッタナランサン王宮の跡地
この丘は、かつてラッタナランサン王宮(Throne Hall)が建っていた場所です。王宮は1890年に建設されましたが、1964年に新しい市庁舎を建設する際に取り壊されました。現在では、その名残をとどめるのはわずかな遺構のみとなっています。
チュラーロンコーン大王ゆかりの地
この場所が特別視される最大の理由は、1890年にラノーンを行幸されたチュラーロンコーン大王(ラーマ5世)が、みずから一対のタマリンドの木を植えられたことにあります。大王の足跡を記念する場所として、現在も大切に保存されています。
大王記念碑の建立
現在丘の上に立つチュラーロンコーン大王記念碑は、サンティ・ピロムパック氏とその家族が建設資金として60万バーツを寄付したことで実現しました。建立の経緯は以下の通りです。
- 1991年9月20日: 当時のラノーン県知事ソムポーン・クルワニッチ氏が定礎式を主宰
- 1992年7月16日: 後任の知事チャムノン・チャレームチャット氏が除幕式の議長を務める
- 1994年5月24日(月): チュラーロンコーン大王の肖像画が記念碑に安置される
記念碑の見どころ
丘の頂上部には、石板で装飾された高い長方形のモルタル製台座の上に、大王の記念碑が安置されています。台座の前面には大王の歴史を記した金属製の銘板が取り付けられ、記念碑は南東方向を向いています。周囲の地面はタイルで覆われ、清潔感のある空間が広がります。
由緒あるタマリンドの木
記念碑の前方左右には、大きなタマリンドの木が2本(左右に1本ずつ)そびえています。これらが大王が植えられた木であるかどうかについては明確な記録が残っていませんが、木の前には大王が植樹したタマリンドにまつわる説明がタイ語・中国語・英語の3言語で刻まれた花崗岩の標識が、左右に1枚ずつ設置されています。また石板の脇には、セメント製の台座に載せられた大砲が左右に1門ずつ飾られています。
古い階段の遺構
記念碑の正面(南東側)には、5段のレンガ造りの階段が上がっています。これは王宮が建てられた当時の古い階段の遺構だと伝えられており、歴史を感じさせる貴重な存在です。なお、裏側には現代的な階段ももう1つ設けられており、こちらからも記念碑へアクセスできます。
装飾的な花崗岩石板
階段を下りた最前面には、中央に装飾が施されたもう一枚の花崗岩石板があります。表面には中国風の意匠による植木鉢と草花の文様が彫られ、裏面の上部には象の図柄、その下方にはタイ語・中国語・英語の文字が刻まれています。
周辺環境
記念碑の周辺は、美しく緑豊かな景観となるよう整備が進められており、木陰の涼しい散策空間として親しまれています。一方、丘の上のエリア全体を見渡すと、その大部分は政府機関の庁舎が占めており、行政の中心地としての機能も併せ持っています。