イタリア・ローマの郊外、カーゼ・ロッセ(Case Rosse)地区で、約2300年前とみられる極めて貴重な古代の墓が発掘されました。

予防考古学調査中に偶然見つかった未盗掘の墓室
豊かな考古学的遺産を誇るイタリアは、今なお私たちを驚かせてやみません。ヴェスヴィオ火山の麓ポンペイでの驚異的な発見だけではありません。永遠の都ローマもまた、その秘密――最も大切に守られてきた秘密さえも――を明らかにしつつあります。
今回発見されたのは、予防考古学(事前調査)の一環として行われていた開発工事の最中に、作業員のピッケルが偶然露出させた、深さ2メートルに掘られた印象的な墓です。墓室は紀元前4世紀に閉ざされたまま、誰にも手をつけられることのない「未盗掘」の状態で見つかりました。
中には4体の人骨――男性3人と女性1人――が横たわっていました。一部はベンチ状の台の上に、残りは床に安置されていたといいます。とりわけ注目すべきは、死者の最後の旅に添えられた一連の見事な釉薬陶器です。皿、鉢、装飾を施されたアンフォラ(双耳壺)などには、儀式的な宴の名残となる食物がまだ残っており、ウサギ、ニワトリ、ヤギの骨が確認されました。

「ローマの選手の墓」の内部。側面のベンチには副葬品が並ぶ © Soprintendenza Speciale Archeologia, Belle Arti e Paesaggio di Roma
「副葬品は、墓の中でも地下世界でも、あの世へ向かう死者に寄り添うために捧げられたものです」と説明するのは、パリ第4大学の名誉教授でローマ古代史の専門家である歴史学者ヤン・ル・ボエック(Yann Le Bohec)氏です。

釉薬陶器の細部 © Soprintendenza Speciale Archeologia, Belle Arti e Paesaggio di Roma
青銅貨が示す共和政ローマの時代
調査を主導するローマ監督局の専門家たちの推定によれば、墓室は共和政ローマ時代のものであり、遺体のそばから出土した青銅貨がそれを裏付けています。この硬貨は紀元前335年から312年の間に鋳造されたもので、片面には女神ミネルウァの顔、裏面には「ROMANO(ローマ)」の文字とともに馬の頭が刻まれていました。
さらに、ストリギリス(strigilis)と呼ばれる青銅製の小型スクレーパー――古代ギリシャ人、エトルリア人、ローマ人が浴場や体育場(ギムナシオン)で汗や油を拭き取るのに用いた、やや湾曲した身支度用具――が出土したことから、この埋葬は「選手の墓」と名付けられました。
土葬か火葬か――古代ローマの葬送習慣をめぐる謎
ここでひとつの疑問が浮かびます。なぜ遺体は埋葬されたのでしょうか? 古代ローマでは、遺体は火葬されるのが一般的だったのではないのでしょうか。
「考古学者たちは長らく、ローマ人は体系的に火葬を行っていたと考えてきました。しかし数十年にわたる発掘調査がこの通説を覆しました。帝国内(ガリアを含む)では、火葬される者も土葬される者もおり、両者に明確な区別はなかったのです」とル・ボエック氏は指摘します。
カーン大学CIREVE所長の古代史学者フィリップ・フルーリー(Philippe Fleury)氏もこれを裏付けています。「ローマの歴史を通じて、火葬と土葬は共存していました。2世紀頃までは火葬が明らかに多数派を占めていましたが、その後は立場が逆転します」
今後、4体の人骨に対してDNA鑑定が実施される予定です。彼らの間に家族関係があったのかどうか、さらなる謎の解明が期待されます。