結論から言うと、ツタンカーメン王にはピラミッドはありません。多くのファラオとは異なり、ツタンカーメンは「王家の谷(Valley of the Kings)」と呼ばれる岩山を掘削して造られた墓に埋葬されました。
なぜツタンカーメンにはピラミッドがなかったのか
古代エジプトでピラミッド建造が盛んだったのは、主に古王国時代(紀元前2686年頃~紀元前2181年頃)のことです。ギザの三大ピラミッドで知られるクフ王やカフラー王の時代には、ファラオの墓として巨大なピラミッドが建てられました。
しかし、時代が下るにつれてピラミッドは墓泥棒の格好の標的となり、王の財宝を守ることが困難になりました。そこで新王国時代(紀元前1550年頃以降)のファラオたちは、テーベ(現在のルクソール)近くの隠れた渓谷、すなわち王家の谷に地下墓を造る方式へと切り替えたのです。
王家の谷にあるツタンカーメンの墓(KV62)
ツタンカーメンは紀元前1330年頃、わずか18~19歳ほどの若さで亡くなったと考えられています。彼の墓は「KV62」という番号で知られ、王家の谷の中でも比較的小規模なものです。在位が短く急逝したため、本格的な王墓を完成させる時間がなかったとも言われています。
皮肉なことに、この小ささが結果的に墓を守ることにつながりました。墓の入口が後の工事の土砂の下に埋もれてしまい、約3,000年以上もの間、ほぼ手つかずの状態で保存されたのです。
1922年の大発見
1922年、イギリスの考古学者ハワード・カーターによってこの墓が発見されると、黄金のマスクをはじめとする5,000点以上の埋葬品がほぼ完全な形で見つかり、世界中に大きな衝撃を与えました。盗掘を免れたファラオの墓としては極めて珍しい例であり、これによりツタンカーメンは歴史上最も有名なエジプト王の一人となったのです。
まとめ
ツタンカーメンにピラミッドはなく、彼はルクソールの王家の谷にある岩窟墓に眠っています。ピラミッドから秘密裏の岩窟墓へという葬送様式の変化こそが、彼の宝物を後世まで残すことになったのです。