古代文明は今なお多くの謎を秘めていますが、過去に関する私たちの知識は毎年着実に深まっています。
これは、さまざまな分野の科学者たちのたゆまぬ努力によるものです。ワルシャワ大学では、歴史学、古典文献学、考古学、東洋学、古代法、哲学などを専門とする多数の研究者が古代研究に取り組んでいます。こうした研究者コミュニティの活動を支援し、その研究成果を広く発信することを目的として設立されたのが「古代文明研究センター(CRAC)」です。以下に紹介するのは、同大学で行われている先駆的な古代研究の一部です。

ムスティス遺跡。ヤクブ・シビダによるドローン撮影。
豚とともに描かれた家族の肖像
ポーランド人観光客の間で長年人気を博してきたチュニジア。旅行会社は豪華なリゾートでの休暇に加え、砂漠ツアー、ラクダ乗り、アラブ市場見学といった現地ならではのエキゾチックな体験を売りにしています。通好みの旅行者には、イスラム、ローマ、カルタゴの遺産も楽しめます。しかし、観光ガイドでムスティス遺跡の名前を見つけることはまずできません。トマシュ・ヴァリシェフスキ教授率いるポーランド考古学者チームの調査により、この状況は近いうちに変わるかもしれません。
カルタゴから120km離れたこの都市は、これまで本格的な調査がほとんど行われてきませんでした。手狭な考古学公園からは、主にローマ帝国時代にさかのぼるわずかな建物の遺構を眺めることしかできませんでした。しかし、最初の発掘調査の結果、この都市の歴史に対する見方はすでに大きく変わりつつあります。ローマ人は紀元前146年のカルタゴ最終敗北後に現在のチュニジア一帯を支配下に置き、紀元前102年にはムスティスにも進出しました。当時、共和政ローマの将軍マリウスの軍団の退役兵たちがここに入植したのです。ところが調査の結果、彼らは無人の土地に定住したわけではないことが判明しました。
実はこの地には、早くも紀元前5世紀には存在していた可能性のある集落があったのです。さらに非破壊調査によって、目に見える遺構はこの都市のごく一部にすぎず、繁栄期には約30ヘクタールの面積を誇っていたことがわかりました。つまり、ムスティスは従来考えられていたよりも古く、より重要な中心地だったのです。この発見を受けて、今後の調査に向けた野心的な計画が立てられました。特に注目されるのは集落の最も初期の歴史の解明です。カルタゴ時代からすでに存在していたこの地で、考古学者たちは三つの文化が出会う地点で起きた文化的変容に迫ろうとしています。すなわち、土着のヌミディア人(今日のベルベル人の祖先)、フェニキアからアフリカに渡ったカルタゴ人、そしてローマ人という三つの文化です。

豚を描いた墓石の断片。トマシュ・ヴァリシェフスキ撮影。
予備調査は今後の発見への期待をかき立てます。現在までに3つの神殿が確認されており、残された碑文の分析から、ムスティスには少なくとも10の神殿が機能していたことがわかっています。異なる専門分野の研究者たちの協働は、すでに興味深い成果を生み出しています。ローマの入植者とともに、ムスティスにはなんと豚もやってきたのです。フェニキア人は豚を飼育しておらず、後にはイスラム教の普及とともに豚は姿を消します。一方、ムスティスのローマ人にとって豚は富の象徴、家族の豊かさを示すステータスシンボルとなりました。養豚はそれほど利益の上がる事業だったため、墓石の中には故人の夫婦が豚とともに描かれたものがあります。墓の前を通りかかる人々に、ここに裕福な人々が眠っていることを知らせるためだったのです。
古代の修道士は先延ばし癖にどう対処していたのか?
エヴァ・ヴィプシッカ教授
魔女の国のロバ
テッサリアはギリシャ本土の他の地域とは一線を画していました。低地帯であるこの地方は農耕に適した条件を備え、他のギリシャ人には真似のできない規模での馬の飼育も可能でした。テッサリアは大規模で優れた騎兵隊で有名でした。彼らはアテナイの僭主たちが起こした戦争(紀元前6世紀)に参加し、マケドニア王ピリッポスとその息子アレクサンドロスの軍隊においても重要な戦力でした。しかし、テッサリア人に対する評判は決して良いものではありませんでした。テッサリアの独特な異質さが、この地を魔法と魔女の不気味な土地だとするイメージにつながったようです。テッサリアの女性たちは毒や邪悪な力を使う達人とされ、死者を一時的に蘇らせて未来を占わせる能力があると信じられ、さらには月を空から引き降ろすほどの力を持つとまで言われていました。

アプレイウス『変身物語』の挿絵。マルタ・マシュキェヴィチ作。
そんなエキゾチックな土地が古代の作家たちを魅了したのも無理はありません。最も頻繁に語り継がれ、翻案されてきた物語の一つが、ルキウスの冒険譚です。魔女の侍女と恋に落ちたルキウスは、鳥に変身する力を持つ女主人の軟膏を盗み出すよう頼みます。ところが不幸な偶然が重なり、彼はロバに変身してしまいました。こうしてルキウスはロバの姿のまま数々の冒険を経験しながら旅を続け、最後に再び人間の姿を取り戻すのです。
ルキウスの冒険を扱った作品の中で、最も長く洗練されているのが、2世紀のローマの弁論家・哲学者、マダウラのアプレイウスによるラテン語作品『変身物語』(黄金のロバ)です。娯楽性の強いギリシャ語の作品とは異なり、アプレイウスはこの作品中に、ローマ帝政期に人気を博した女神イシス崇拝への入信に関わる宗教的メッセージを織り込んでいます。ワルシャワ大学歴史学部のユリア・ドロシェフスカ博士は、この小説において作者がどのようにさまざまな通過点や境界の場所を用いて主人公の内面的変化を表現しているのかを分析しました。放埒な若者はロバに変わり、やがて人間の姿を取り戻した後、苦行者となり、女神イシスの精神的な司祭へと生まれ変わるのです。これはいかにして可能になったのでしょうか? ルキウスの変身について詳しく知りたい方は、「黄金のロバ」に関する特集記事をご覧ください。
バビロンで官僚制はどう生まれたのか?
マウゴジャータ・サンドヴィチ博士
ワルシャワ大学で行われている先駆的な古代研究のいくつかを紹介する科学普及映画シリーズを、ぜひご覧ください。
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本プロモーション資料は、ワルシャワ大学研究卓越イニシアティブの助成によるプロジェクト「過去へと至るさまざまな道」の一環として、ロマン・ジュホヴィチ修士によって作成されました。
