彼女は安易に手を出せる相手ではなかった。愛を交わした男たちは、それを身をもって思い知らされることになった。他の女性に一瞥を向けただけで、彼女の地下室に並ぶブリキの棺の一つに収められる運命が待っていたのだ。そして彼女は生涯を通じて、パートナーを殺めたのは「愛ゆえだった」と主張し続けたという。
彼女の人生について分かっていることは驚くほど少ない。写真も記録も失われ、旧姓すら不明である。残された断片をつなぎ合わせることさえ困難だ。では、ルーマニアの「黒い未亡人」と呼ばれたヴェラ・レンツィとは、いかなる人物だったのか。そして何が、彼女の愛を致命的なものへと変えてしまったのか。
甘やかされて育った貴族の娘
ヴェラは19世紀末(1903年生まれとする資料もあるが、これは誤りとされる)、ブカレストのルーマニア系ハンガリー人貴族の家に生まれた。貧しさとは無縁の暮らしだった。周囲は皆、小さな貴族の娘に関心を寄せ、どんなわがままにも応えた。

ヴェラの異常性が育まれた町ベルケレクル(現セルビアのゼレニャニン)。現在の様子(撮影:Alexzr88、パブリックドメイン)。
母親の死によって、状況は一変する。父は13歳の娘を連れて、セルビア北部の小さな町ベルケレクルの別荘へ移住することを決めた。しかし父は仕事に没頭し、娘を顧みなくなった。
自分に注がれる関心に慣れきっていたヴェラは、新しい現実を受け入れられなかった。家出を試みるも失敗に終わると、父は彼女を女子校へ入学させた。行儀作法を身につけさせるためである。だが、その効果はまったくなかった。
学校でヴェラはあっという間に一人の女性へと成長した。最初は近隣のギムナジウムの生徒たち、次いで教師、銀行家、実業家と、恋人のリストは果てしなく続いた。彼女は熱心な求婚者たちに全身全霊の愛を捧げた。しかし時が経つにつれ、男たちは彼女との付き合いに飽きていった。浮気をし、拒絶し、去っていった。若き乙女は、愛する者を自分のものとしておく方法を見つけなければならなかった。そして間もなく、その方法を見つけ出したのである。
不貞な夫は「死んだ」夫
初めての夫となったのは、彼女よりかなり年上の裕福なオーストリア人銀行家カール・シンクだった。当時ヴェラは20歳近くになっていた。幸せな日々は息子ロレンツォが生まれるまで続いた。その後、紳士の愛情は次第に冷めていった。シンク夫妻がベルケレクルへ引っ越したことで、事態はさらに悪化した。そこでカールは瞬く間に地元の婦人たちの寵児となり、そして……跡形もなく姿を消した。

ヴェラの最初の夫も似たような環境で働いていた……しばらくの間は。ライプツィヒの銀行内部(パブリックドメイン)。
ヴェラは友人たちに、夫に捨てられたと語り、最後の手紙を証拠として見せた。1年後、彼女は再び恋に落ちる。相手はセルビア人実業家のヨーゼフ・レンツィだった。再婚するには、離婚かカールの死亡証明書が必要だった。そこでヴェラは喪に服し、夫は事故で亡くなったと言い始めた。
地元の役人たちは彼女の話を信じ込むだけでなく、必要な書類まで発行してしまった。こうしてヴェラはレンツィ姓を名乗るようになる。ところが結婚して初めて、夫もまた他の女性たちから熱烈に慕われていることを知った。ヨーゼフは妻に忠実ではなく、先夫と同じ運命を辿ることになった。
再び訪れた喪失と、夫の死をめぐる説明。傷心のヴェラは今度こそ二度と結婚しないと心に誓った。それでも、男性との交際を手放すつもりはなかった。愛され、崇拝されたいという欲求はあまりに強く、新しい恋人が現れるのは時間の問題だった。ウィーンから求婚者を呼び寄せることさえあったという。
年月が流れ、彼女の傍らに寄り添う男たちは入れ替わっていった。だが誰も気づかなかった。彼女の屋敷に入った男が皆、短い期間の後に跡形もなく消えていることに。独身男性と付き合っている限り、レンツィ夫人は何をしても許される存在だったのだ。

ヴェラの短いロマンスの舞台となった町。1914年のベルケレクルのハンガリー製絵葉書(パブリックドメイン)。
問題が持ち上がったのは、結婚20年になるセルビア人銀行家ミロラド氏が彼女の目に留まったときだった。彼もまた行方不明になると、妻が捜索を開始した。足取りはベルケレクルまで辿られた。心配したミロラド夫人は警察に疑いを報告した。しかしヴェラ・レンツィは尊敬される未亡人であり、役人たちは既婚の銀行家の失踪に彼女が関与しているとは信じなかった。それでも、調査の約束だけは取り付けられた。
「あなたが来ることは分かっていたわ」
1925年5月、セルビアの警察官たちは堂々とした屋敷の扉を慎重にノックした。扉を開けたレンツィ夫人は、彼らを中へ招き入れた。「あなたが来ることは分かっていたわ」。警官隊が最初の質問をする前に、彼女は静かにそう言い、地下室へ続く扉を指さした。

レンツィ夫人の地下室には、警官たちを待ち受ける戦慄の光景があった……(ウプサラの教会地下納骨堂の棺。撮影:Riggwelter、CC BY-SA 3.0)。
警官たちは黙って地下納骨室へ降りていった。ランプの明かりが薄暗い地下空間を照らし始めると、そこにはおぞましい光景が広がっていた。部屋には35個のブリキの棺が並んでいたのだ。それぞれの中には、腐敗の程度こそ違えど死体が収められていた。
棺は円形を描くように配置され、その中央には肘掛け椅子と、赤ワインのグラスが置かれたテーブルがあった。ヴェラは即座に罪を認めた。毎晩ここへ来て、自分の男たちのそばに座るのだと語った。ワインを片手に、彼らに語りかけながら。各棺には犠牲者の名前と年齢、そして不幸な男が彼女と過ごした日数が刻まれていた。
棺の中にひとつだけ、小さなサイズのものがあり、少年の遺体が納められていた。それは彼女の10歳の息子ロレンツォだった。母の秘密を知ってしまったために、毒殺されたのである。自分のコレクションの真実を外に漏らすわけにはいかなかったのだ。
「黒い未亡人」は逮捕された。勾留中、彼女はすべての殺人を自白した。ワインや食事にヒ素を混ぜて男たちを毒殺したと詳細に語った。大量の毒ですぐに殺した者もいれば、毎日少量ずつ与えて徐々に死に至らしめた者もいた。最後の犠牲者には、致死量のストリキニーネを与えたという。
刑務所での死者との対話
捜査の過程で、2つの棺からヴェラの二人の夫の遺骨が確認された。ミロラド氏とレンツィ夫人の息子も身元が判明した。その他の死者たちは共同墓地に埋葬され、その場所は公表されなかった。数日後、アメリカの新聞『キングストン・デイリー・フリーマン』は、セルビアの町ベルケレクルで地元警察が「新たなるルクレツィア・ボルジア」を逮捕したと報じた。
審理の場でヴェラは、恋人たちが他の女性のもとへ去ってしまうことを恐れて毒を盛ったと告白した。彼女の愛する男たちは、彼女だけのもの。永遠に彼らを繋ぎ止める唯一の方法が、殺害だったのである。

本稿はリチャード・G・ジョーンズ著『The Mammoth Book of Women Who Kill』などを参考に作成された。
裁判所は「黒い未亡人」に絞首刑を言い渡した。しかし、セルビアで女性への死刑執行が禁止されたため、刑は終身刑へと変更された。
愛しすぎた女
収監後、ヴェラに精神疾患の兆候が現れ始めた。被害者たちの幻影を見ては、何日も彼らと会話を続けたという。彼らを愛し、自分を見捨てなかったことに感謝していた。統合失調症と診断されると、彼女は精神病院へ移送された。
第二次世界大戦勃発直前、レンツィ夫人は脳出血でこの世を去った――とされている。だが、本当にそうだろうか。1960年まで生存していたという噂も、今なお残っている。
ヴェラ・レンツィの物語は、「人生の男たちをどうしても手放せなかった、愛しすぎた女」の伝説を生んだ。一部の研究者は、彼女の殺人手法が、アメリカの劇作家ジョセフ・ケッセルリングによる1939年の喜劇『アーセニックとオールド・レース』(原題:Arsenic and Old Lace)の着想源になった可能性を指摘している。